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松平 親貴︵まつだいら ちかたか︶は、江戸時代後期の大名。豊後国杵築藩の第10代︵最後︶の藩主。官位は従五位下・河内守。能見松平家16代。
9代藩主・松平親良の長男として誕生した。母は側室松崎氏。幼名は録之助。
嘉永6年︵1853年︶2月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。同年12月7日、従五位下・河内守に叙任する。慶応4年︵1868年︶2月13日、親良に代わり上洛し、恭順の姿勢を示した。同年4月9日、親良の隠居により家督を継ぐ。
父が佐幕派であったのに対し、親貴は新政府派であり、同年の戊辰戦争では新政府に与して会津にまで出兵した[1]。
明治2年︵1869年︶6月20日、版籍奉還により知藩事となる。明治4年︵1871年︶7月15日、廃藩置県で免官された。同年9月23日、東京に移った。明治6年︵1873年︶1月22日、権少教正に就任する。明治15年︵1882年︶8月20日、父に先立って45歳で死去した。法号は泰岳院。墓所は東京都台東区谷中の谷中共同墓地。
- 父:松平親良(1810年 - 1891年)
- 母:松崎氏
- 正室:ひで - 松平乗懿長女
能見松平家16代当主(1868年 - 1882年) |
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宗家 |
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分家・支流
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能見松平家 杵築藩10代藩主 (1868年 - 1871年) |
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能見松平家 |
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