松本剛吉
松本 剛吉︵まつもと ごうきち、文久2年8月8日[1]︵1862年9月1日︶ – 昭和4年︵1929年︶3月5日[2]︶は、衆議院議員、貴族院議員。旧名は松元剛吉[3]。﹃松本剛吉政治日誌﹄で知られる。
経歴[編集]
丹波国氷上郡柏原町︵現在の兵庫県丹波市︶に、今井源左衛門の四男として生まれ、松元十兵衛の養子となった[4]。中村正直の同人社に学んだ[5]。1884年︵明治17年︶に、神奈川県警部に任命され、埼玉県警部、逓信属を歴任し、1894年︵明治27年︶に退官した。その後、第1次大隈内閣で林有造逓信大臣の秘書官となり、第4次伊藤内閣でも林農商務大臣の秘書官を務めた[3]。 1904年︵明治37年︶、第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は4回を数えた。寺内内閣では田健治郎逓信大臣の秘書官に就任し[6]、田が台湾総督に転ずると総督秘書官を務めた。 1927年︵昭和2年︶8月18日、貴族院議員に勅選され[7][8]、研究会に所属して死去するまで在任した[7][9]。 その他、徴兵保険株式会社取締役、東京鉄道株式会社取締役などを務めた[4]。﹃松本剛吉政治日誌﹄[編集]
松本は政界の表裏に詳しく、山縣有朋・西園寺公望・原敬らと交遊し彼らの情報係を務めた。1912年︵大正元年︶から1928年︵昭和3年︶にわたる日誌全文は、没後の1959年に﹃大正デモクラシー期の政治 : 松本剛吉政治日誌﹄︵岡義武・林茂校訂、岩波書店︶が刊行され、﹃原敬日記﹄、﹃原田熊雄日記﹄と並ぶ、大正・昭和戦前期の政界を知る基本史料となっている。 他に﹃松本剛吉自伝﹃夢の跡﹄﹄︵復刻﹁尚友ブックレット﹂芙蓉書房出版、2012年。尚友倶楽部史料調査室編︶がある。また日誌と同時期︵1912年〜1929年︶の松本宛書簡は、国立国会図書館憲政資料室に寄贈され、﹁松本剛吉関係資料﹂としてマイクロフィルムの形で公開されている。栄典[編集]
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