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植村 正朝︵うえむら まさとも︶は、上総勝浦藩の第2代藩主。忠朝系植村家2代。
寛文10年︵1670年︶、初代藩主植村忠朝の三男として生まれる。長兄が病弱、また次兄が早世したために世子として指名され、元禄9年︵1696年︶8月、徳川綱吉の小姓となる。同年11月に父が死去したため、元禄10年︵1697年︶2月10日に家督を継いだ。このとき、弟の忠元に丹波氷上郡1000石を分与したため、石高は1万石となる。宝永6年︵1709年︶3月、従五位下、土佐守に叙任する。
享保8年︵1723年︶5月、大番頭に任じられ、享保11年︵1726年︶には下総国小金原で行われた将軍徳川吉宗の鹿狩りに従う。享保13年︵1728年︶8月には大坂定番に任じられたが、在任中の享保14年︵1729年︶10月27日に大坂で死去した。享年60。
跡を次男の恒朝が継いだ。
植村氏 勝浦藩2代藩主 (1697年 - 1729年) |
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植村家 |
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大岡家 |
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