出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楓渓︵もみじだに︶は、三重県四日市市水沢町︵すいざわちょう︶の山の坊︵現在の宮妻︶にあるもみじの名所。楓谷とも書く。
鈴鹿国定公園に位置し、11月下旬ごろの紅葉シーズンには、もみじまつりが開催され、夜間にはライトアップされる[1]。四日市市水沢地区の茶畑を通り過ぎ、三交バス終点宮妻口バス停より、車道を右折するとすぐ目の前に、車道左側から谷川を挟んで対岸まで、このあたり一帯にもみじの林が広がっており、幹の周囲が一抱えもあるような老樹が繁茂している。紅葉だけではなく新緑の時期も格別である。谷川沿いに東海自然歩道が通っており、林床には、シャガ、フキ、ミツバ、イカリソウ、ヤブコウジ、テイカカズラなどが見られ、よく整備されている。
楓渓より、三重県道44号宮妻峡線を西へ1 kmほど登ると、道路南斜面に、伊勢茶の産地水沢茶発祥の地とされる、冠山茶の木原︵市指定記念物︵史跡︶︶がある[2]。さらに終点まで登ると、宮妻峡ヒュッテと呼ばれる、四日市市営のキャンプ場や、鎌ヶ岳、入道ヶ岳などの登山基地となっている[3]。
水沢は江戸時代、菰野藩の領地であり、元禄年間︵1688年 - 1703年︶当時の藩主土方雄豊が、領内巡視を兼ねて、もみじ狩りを楽しんだといわれている。その後歴代の藩主は、桜、ツツジ、もみじ等花木の伐採を禁じ、領内の景勝地の保護につとめた。楓渓においても、雑木を切り払いもみじを保護し、毎年春秋に訪れている。
古来よりこの地には多くの文人墨客が訪れており、猿丸大夫がこの地で詠んだとされる、﹁奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき﹂という歌は、﹁百人一首﹂に書かれており、猿丸大夫の遺跡として伝わっている所に歌碑が立てられている[4]。その他に、津藩の儒学者斉藤拙堂や、歌人佐佐木弘綱も訪れており、歌を詠んでいる[4]。
明治6年︵1873年︶地租改正のとき、村人の間で当地一帯が国に接収されるとの噂が広まり、楓渓周辺の木を炭に焼いてしまおうとしたが、当時の村用掛であった、森田健次郎という人物が、保存運動に努力したといわれている[5]。
所在地[編集]
●三重県四日市市水沢町宮妻
●宮妻峡
●冠山茶の木原
●四日市スポーツランド
●青少年野外活動センター
アクセス[編集]
●東名阪自動車道四日市インターより、国道477号、国道306号を経由して、三重県道44号宮妻峡線を西に入り約12km。
●三重交通バス水沢線終点宮妻口より徒歩数分。
(一)^ 四日市市観光協会 四日市散策マップ西部編 ︵2010年3月10日閲覧。︶
(二)^ 四日市の指定・登録文化財 冠山︵かんざん︶茶の木原︵2010年3月13日閲覧。︶
(三)^ 西尾寿一﹃鈴鹿の山と谷5﹄ナカニシヤ出版、33頁。
(四)^ ab三重フィールド研究会編﹃三重県のかくれた名所﹄三重県良書出版会、17 - 20頁。
(五)^ 清水武﹃望郷 すいざわの歴史とこばなし﹄水沢郷土史研究会、2004年77頁。
参考文献[編集]
●三重県生活環境部観光公園課監修﹃ふるさとの散歩道︵三重県︶﹄国土地理協会・三重県観光連盟、1985年、66頁。
●三重フィールド研究会編﹃三重県のかくれた名所﹄三重県良書出版会、1986年、17 - 20頁。
●四日市市編集﹃四日市市史 第4巻 史料編文化財﹄1989年、735頁。
●西村寿一﹃鈴鹿の山と谷5﹄ナカニシヤ出版、1991年、25・26頁。32・33頁。
●清水武﹃望郷 すいざわの歴史とこばなし﹄水沢郷土史研究会、2004年、
関連項目[編集]
●宮妻峡
外部リンク[編集]
●四日市市観光協会 四日市散策マップ西部編