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池田宿︵いけだじゅく︶は、千国街道︵糸魚川街道︶の宿場。現在の長野県北安曇郡池田町池田に位置する。
古くから塩の道として利用され、武田氏の統治下で伝馬宿として整備された。慶長13年︵1608年︶には伝馬役が200石の石役を割り当てられている。江戸時代の絵図によると、南北6町48間で、宿場の真ん中を高瀬川から引水した町川が流れ、橋を架けて両側の町家の行き来を可能にしていた。南北の桝形にはそれぞれ如意輪観音堂があった。
元和5年︵1619年︶、松本城主松平康長が、分知を計画して池田宿に﹁若松城﹂の築城を着工したが、寛永6年︵1629年︶に沙汰止みとなった。跡地には﹁御他屋﹂と称する藩の出張陣屋が置かれた。享保10年︵1725年︶の﹁池田組高辻帳﹂によると、東西8間3尺、南北10間4尺の敷地に板葺きの建屋があった。御他屋の門は現存し、池田八幡神社の社務所に移築されている。
天明8年︵1788年︶には池田学問所が開設され、学問が隆盛した。
参考文献[編集]
●﹃信州の文化シリーズ 街道と宿場﹄ 信濃毎日新聞社、1980年
●﹃池田町誌 歴史編1﹄1992年
隣の宿[編集]
千国街道
- 穂高宿 -(2里半)- 池田宿 -(2里半)- 大町宿
関連項目[編集]