浅見栄三郎
浅見栄三郎 | |
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 寛政10年7月18日(1798年8月29日) |
死没 | 明治15年(1882年)12月15日 |
改名 | 浅見正欽 |
別名 | 号:自省斎 |
墓所 | 興元寺(山口県周南市一ノ井手) |
主君 | 毛利広鎮→元蕃 |
藩 | 周防徳山藩 |
父母 |
父:浅見正辰、母:池田規充の娘 養父:浅見正保 |
兄弟 | 巣雲、栄三郎、修次 |
妻 | 常(浅見正保の娘) |
子 | 安之丞、児玉次郎彦、述造 |
浅見 栄三郎︵あさみ えいさぶろう︶は、江戸時代後期から明治時代にかけての武士。徳山藩士。名は正欽、号は自省斎。徳山藩士・浅見正辰の三男で、浅見甚助正保の婿養子となる。兄に浅見巣雲。弟に浅見修次。子に浅見安之丞、児玉次郎彦、浅見述造。