浅間前新田
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浅間前新田 | |
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北緯35度51分21.4秒 東経140度7分7秒 / 北緯35.855944度 東経140.11861度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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標高 | 8 m |
人口 | |
• 合計 | 47人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1116[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 柏 |
※座標・標高は浅間前自治会集会所付近 |
浅間前新田︵せんげんまえしんでん︶は、千葉県我孫子市の大字。郵便番号は270-1116[2]。
地理[編集]
北は布佐、東は相島新田、南は浅間前、東は大作新田に隣接している。小字[編集]
小字は以下の通り[4]。 ●中曽根︵なかそね︶ ●上沼悪水落堀︵かみぬまあくすいおちぼり︶ ●堀向︵ほりむこう︶ ●道上︵みちうえ︶ ●道下︵みちした︶ ●新道下︵しんみちした︶ ●新々田︵しんしんでん︶歴史[編集]
江戸期は浅間前新田であり、下総国相馬郡のうち。江戸前期から手賀沼開墾により成立した新田村。寛文年間に開発され、天和2年から手賀沼新田請方の反高場となり、年貢を上納した所のうちと思われ、享保年間には浅間前分と称した。幕府領。村高は、﹁元禄郷帳﹂には見えず、﹁天保郷帳﹂﹁旧高旧領﹂ともに52石余。布佐村との境界沿いに集落を形成。文政7年布瀬村を親浜とする六ヶ村浜組を形成、鳥猟運上を納めた[5]。年表[編集]
●1873年︵明治6年︶ - 千葉県に所属。 ●1878年︵明治11年︶南相馬郡に編入。 ●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行し印旛郡大杜村と南相馬郡布佐町が発足。 ●飛地の字流木留は大杜村大字浅間前となる[5]。 ●本村は布佐町大字浅間前新田になる[5]。 ●1897年︵明治30年︶3月30日 - 東葛飾郡が南相馬郡を編入し東葛飾郡布佐町となる。 ●1955年︵昭和30年︶4月29日 - 我孫子町・布佐町・湖北村と合併し我孫子町が発足。我孫子町浅間前新田となる。 ●1970年︵昭和45年︶7月1日 - 我孫子町が市制施行して我孫子市となる。我孫子市浅間前新田となる。世帯数と人口[編集]
2017年︵平成29年︶4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
浅間前新田 | 20世帯 | 47人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 我孫子市立布佐南小学校 | 我孫子市立布佐中学校 |
施設[編集]
- 浅間前自治会集会所
交通[編集]
道路[編集]
脚注[編集]
(一)^ ab“人口と世帯 - 平成29年度 人口と世帯”. 我孫子市 (2017年11月2日). 2017年11月4日閲覧。
(二)^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月4日閲覧。
(三)^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
(四)^ 角川日本地名大辞典編纂委員会﹃角川日本地名大辞典12千葉県﹄、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1364頁
(五)^ abc角川日本地名大辞典編纂委員会﹃角川日本地名大辞典12千葉県﹄、角川書店、1984年 ISBN 4040011201
(六)^ “小学校・中学校の通学区域”. 我孫子市 (2017年4月1日). 2017年11月3日閲覧。
関連項目[編集]
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布佐 | ![]() | ||
大作新田 | ![]() |
相島新田 | ||
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浅間前 |