清水英太朗
しみず えいたろう 清水 英太朗 | |
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別名義 | 清水 英朗 (しみず ひでお) |
生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 不詳年 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 劇映画(時代劇、剣戟映画、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1930年代 - 1941年 |
清水 英太朗︵しみず えいたろう、生没年不詳︶は、日本の俳優である[1][2]。旧芸名清水 英朗︵しみず ひでお︶[1]。清水 英郎の表記もみられる[3]。﹁マキノトーキーのスター﹂として知られる[4]。
人物・来歴[編集]
生年不詳である。 記録の上で初めてその名が登場するのは、サイレント映画時代の最末期、1935年︵昭和10年︶7月18日に公開された、京都・松竹下加茂撮影所製作、大内弘主演、笠井輝二監督によるサウンド版﹃第二新選組﹄である[1][2]。当時の芸名は﹁清水 英朗﹂であり、脇役の俳優であった[1][2][3]。同年後半に製作された井上金太郎監督のトーキー﹃蹴手繰り音頭﹄前・後篇に脇役である﹁鬼勘﹂の役で出演し、前篇が同年10月31日、後篇が同年11月14日に公開されたが、その後松竹キネマを退社し、同年12月末、太秦帷子ヶ辻中開町︵現在の右京区太秦堀ヶ内町︶に、牧野省三の長男であるマキノ正博がトーキー︵映音式︶のための新しい撮影所を建設した新会社、マキノトーキー製作所を設立、これに参加する[1][2][5]。 1936年︵昭和11年︶1月、マキノトーキー製作所がその陣容を発表した際に、﹁技芸部男優﹂として、同様に松竹下加茂撮影所から移籍した月形龍之介、大内弘らとともに設立メンバーに名を連ねる[5]。当初、脇役の俳優であり、出演記録に残るものも少ないが、同社で初めて記録にあらわれるのは、同年5月14日に公開された、日活から参加した澤村國太郎主演、松田定次・マキノ正博共同監督による﹃弥太郎笠 前篇﹄における﹁乾分玉蔵﹂役であった[1][2]。同年6月5日に公開された月形龍之介主演、久保為義監督による﹃黒蜻蛉﹄は、現在5分の断片が現存状態であるが、﹁地頭 栗原勇之進﹂役で出演していることが明らかになっている[3]。同年8月7日に公開された澤村國太郎主演、マキノ正博・広瀬五郎・根岸東一郎共同監督による﹃八州侠客陣﹄では、平手造酒役を得た[1][2]。 伊藤大輔が1927年︵昭和2年︶に手がけたサイレント映画﹃忠次旅日記﹄三部作の脚本を原作に、同社は﹃國定忠治 信州子守唄﹄を製作、同年2月18日に公開していたが、国定忠治を演じた主演俳優・月形龍之介が同社を退社し、続きがつくれなくなっていた[5]。そこで同社は、従来脇役俳優であった清水を忠治役に抜擢、芸名も﹁清水 英太朗﹂と改めさせて、﹃忠治活殺剱﹄を製作する[1][2][5]。同作は、同年12月6日に公開され、以降、清水は主演俳優として同社を支えていくこととなる[1][2][5]。同社は1937年︵昭和12年︶4月に解散、葉山純之輔、大内弘ら大半の俳優は新興キネマへ移籍したが、解散後の清水の動向は不明である[5]。 1941年︵昭和16年︶8月、明石潮の主宰する﹁新潮劇団﹂に加盟、京都の三友劇場での﹃遠山政談刺青奉行﹄等の舞台に出演した記録が残っている[4]。以降の出演記録は不明であり、間もなく時代は第二次世界大戦に突入し、消息は不明である。没年不詳。フィルモグラフィ[編集]
すべてクレジットは﹁出演﹂である[1][2]。公開日の右側には役名[1][2]、および東京国立近代美術館フィルムセンター︵NFC︶所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[3][6]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。松竹下加茂撮影所[編集]
すべて製作は﹁松竹下加茂撮影所﹂、配給は﹁松竹キネマ﹂である[1][2]。特筆以外はトーキーである[1]。 ●﹃第二新選組﹄ : 監督笠井輝二、主演大内弘、サウンド版、1935年7月18日公開 ●﹃蹴手繰り音頭 前篇﹄ : 監督井上金太郎、主演坂東好太郎、1935年10月31日公開 - 鬼勘 ●﹃蹴手繰り音頭 後篇﹄ : 監督井上金太郎、主演坂東好太郎、1935年11月14日公開 - 鬼勘マキノトーキー製作所[編集]
すべて製作は﹁マキノトーキー製作所﹂、配給は﹁千鳥興行﹂あるいはマキノトーキーの自主配給である[1][2]。すべてトーキーである[1]。 配給 千鳥興行 すべて﹁清水英朗﹂名義である[1]。 ●﹃弥太郎笠 前篇﹄ : 監督松田定次・マキノ正博、主演澤村國太郎、1936年5月14日公開 - 乾分玉蔵 ●﹃黒蜻蛉﹄ : 監督久保為義、主演月形龍之介、1936年6月5日公開 - 地頭 栗原勇之進、5分の断片が現存︵NFC所蔵[3]︶ ●﹃八州侠客陣﹄ : 監督マキノ正博・広瀬五郎・根岸東一郎、主演澤村國太郎、1936年8月7日公開 - 平手造酒 ●﹃裸の礫﹄ : 監督松田定次・広瀬五郎・根岸東一郎、主演大内弘、1936年9月5日公開 自主配給 すべて﹁清水英太朗﹂名義である[1]。- 『忠治活殺剱』(『忠治活殺剣』) : 監督久保為義・マキノ正博、1936年12月6日公開 - 國定忠治(主演)、58分の復元最長版が現存(NFC所蔵[6])
- 『赤垣源蔵 徳利の別れ』(『赤垣源蔵』) : 監督マキノ正博・平尾善夫、主演澤村國太郎、1936年12月13日公開 - 勝田新左ヱ門(特別出演)、38分の復元版が現存(NFC所蔵[6])
- 『神州斬魔剣』 : 監督姓丸浩、1937年1月24日公開 - 主演
- 『喧嘩菩薩』 : 監督牧陶六(マキノ正博)、1937年2月28日公開 - 主演
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅裕、平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282016
- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年
- 『映画俳優事典 戦前日本篇』、盛内政志、未来社、1994年8月 ISBN 4624710657
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133
- 『近代歌舞伎年表 京都篇 第10巻 昭和十一年-昭和十七年』、国立劇場調査養成部調査資料課近代歌舞伎年表編纂室、八木書店、2004年5月 ISBN 4840692327
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Eitarô Shimizu - IMDb(英語)
- 清水英太朗、清水英朗 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 清水英太朗、清水英郎 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 清水英太朗 - 日本映画データベース
- 清水英太朗 - allcinema