新興キネマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新興キネマ株式会社
Shinko Kinema Co.,Ltd.
種類 株式会社
市場情報 消滅
略称 新興
本社所在地 日本の旗 日本
東京市京橋区八丁堀二丁目3番地3 早川ビル
(現在の東京都中央区八丁堀二丁目25番9号 トヨタ八丁堀ビル)
設立 1931年8月28日
業種 サービス業
事業内容 活動写真製造(映画の製作・配給)
賃貸常設館(映画館)の経営
代表者 白井信太郎
資本金 425万円(創立時)
関係する人物 永田雅一
特記事項:1942年1月10日 合併消滅
テンプレートを表示

[1][2][3]

[]


19316828[2] 19349921[4] 10[5]194217110[2]211[6]

沿[]


1931828 - [2]

193410 - [5]

1936 - 

1939329 - 

1942110 - [2]

[]


 : 

 : 33[1][2]
259 [3]

354034 1394641 / 35.67611 139.77806 / 35.67611; 139.77806

 :
(一)

(二) [1]

 : [1]

 : 4251931[2] - 1937[1]

 :
 1931 - 1942 : 西9

 1934 - 1942 : 345

[]

1935



19316828使[7]915[8][9]924[8][10]1934910[5]19351015[11][12]

寿寿193611

19371251122使15[1][13][14]

1937122-3[15]

194217110[2][3][2]127[2]211[6]

[]



映画館[編集]


[6][6]

 - 4[1]

 - 13[1]

 - 38

 - 241

 - 19454[16]

 - 165

 - 73

 - 19454[17]

 - 138

 - 2866

 - 120

[]




寿寿1931

1931

1931 - 1932

1931 - 1932

1932 - 1935

1934 - 1936

1935 - 1936

[]


193914329

坊屋三郎は後に当時のことを「吉本では10日毎に新ネタを要求されていたのが新興では(大阪・京都・神戸の劇場を10日毎にローテーションするため)新ネタは1ヶ月毎でよくなりきちんとした作家も付く。独立したショーが用意され一流のバンドやダンサーもつく。おまけに月給も90円から300円に上がるとなると、これでOKしないのはバカだよ」と語っている[18]。これに対し吉本側も芸人たちの新興側の劇場への出演を禁じる仮処分申請を行ったり、暴力団を使って実力で興行を阻止しようとしたりといった方法で対抗したが、既に日中戦争が始まっているという時節柄もあってか京都府警・大阪府警が調停に乗り出す。結局同年5月22日に両社の間で和解が成立し、正式に芸人の移籍が認められた。さらに1941年(昭和16年)には、漫才作者として有名な秋田實が吉本興業から同社に移籍し文芸部長に就任している。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 新興キネマ株式会社 労働争議 1, 2, 3, 4法政大学大原社会問題研究所、2014年4月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j わが町八丁堀 歴年表、中央区八丁堀二丁目東町会、2010年1月23日閲覧。
  3. ^ a b c 新興キネマ本社跡、中央区八丁堀二丁目東町会、2010年1月23日閲覧。
  4. ^ 京都でも多数が校舎の下敷きに『大阪毎日新聞』昭和9年9月21日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p228 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ a b c 筈見[1942], p.179.
  6. ^ a b c d 年鑑[1942], p.10-24,27,28,34,40,43,47,49,53.
  7. ^ 大西[1993], p.76.
  8. ^ a b 1931年 公開作品一覧 591作品日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
  9. ^ 風雲長門城、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
  10. ^ 何が彼女を殺したか、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
  11. ^ 1935年 公開作品一覧 477作品、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
  12. ^ 唐人お吉、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
  13. ^ 田中[1976], p.318.
  14. ^ 松竹[1964], p.364.
  15. ^ 新興が吉本から人気者引き抜き『大阪毎日新聞』(昭和14年3月31日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  16. ^ 年鑑[1961], p.671.
  17. ^ 芳賀[1996], p.401.
  18. ^ 澤田[2002], p.69.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]