清水釘吉
略歴[編集]
●1867年︵慶応3年︶ 宮津藩士・小野高永の次男として、江戸に生まれる。 ●1883年︵明治16年︶ 慶應義塾から東京英和学校に転じ、明治18年工部大学校に入学。 ●1891年︵明治24年︶ 帝国大学工学部建築学科卒業。 ●同年、清水組3代清水満之助の婿養子となり分家。 ●卒業後、工手学校︵工学院大学の前身︶で教鞭をとる ●1894年︵明治27年︶ 清水満之助店 三代技師長 ●1900年︵明治33年︶ 清水満之助店 営業監督 ●1902年︵明治35年︶ 欧米視察 ●1909年︵明治42年︶ 石川島造船所取締役。 ●1915年︵大正4年︶ 清水組業務執行役員店長 ●1936年︵昭和11年︶ 清水組取締役社長︵〜1940年︵昭和15年︶︶ ●1948年︵昭和23年︶ 死去。その他[編集]
●墓地は谷中霊園甲9号13側にある。 ●造家学会︵現日本建築学会︶名誉会員。家族[編集]
●実父・小野高永 - 宮津藩士 ●妻・たけ - 清水組社長・清水満之助の娘[1] ●長男・俊雄 - 岳父に九段精華高等女学校校長・沢秀三郎︵尺振八の養子︶[1] ●長女・文 - 横浜の貿易商・守安瀧三郎の子・瀧三の妻。瀧三の姉の夫に岡崎久次郎、高橋是福がいる。瀧三の甥に守安祥太郎。[1] ●三男・康男 - 清水満之助の養嗣子。清水組社長。妻の貞子は東京川崎財閥・川崎八右衛門 (2代目)の孫。[1][2]栄典[編集]
●紺綬褒章︵1932年3月︶[3]脚注[編集]
参考文献[編集]
- 清水組内清水釘吉翁伝記刊行会『清水釘吉翁』1943
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、843-844頁 。(近代デジタルライブラリー)