渡辺知雄
渡辺 知雄︵わたなべ ともお、1883年︵明治16年︶7月16日[1] – 1946年︵昭和21年︶11月29日[2]︶は、日本の外交官。静岡県三島市長。
経歴[編集]
静岡県出身。1907年︵明治40年︶に早稲田大学政治経済科を卒業し、翌年に外務省に入省した[1]。1912年︵明治45年︶に外務書記生となり、バンクーバー領事館に勤務した[1]。1917年︵大正6年︶より中華民国に駐在し[1]、1919年︵大正8年︶には広州副領事となった[3]。翌年、ロンドン副領事に転任[1]。1922年︵大正11年︶、ボンベイ︵現在のムンバイ︶総領事に就任し、1927年︵昭和2年︶からニューオーリンズ総領事に転じた[1]。1932年︵昭和5年︶よりハバナ領事となり、さらにマニラ総領事を務めた[4]。 その後、国際学友会常務理事となった[5]。 1945年︵昭和20年︶には三島市長に選出された。1946年11月、在任中に病のため死去した[2]。著書[編集]
- 『自分の観たる印度紡績』(大日本紡績聯合会、1927年)
親族[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f 大衆人事録 1930.
- ^ a b 『朝日新聞』(東京本社発行)1946年12月1日朝刊、2頁。
- ^ 「外務省月報(大正八年二月分)」 アジア歴史資料センター Ref.B13091364300
- ^ 日本官界名鑑 1936.
- ^ 「在本邦外国留学生に関する一考察 」 アジア歴史資料センター Ref.B04011347000
- ^ “三島アメニティ大百科 映画と演劇” (日本語). 2016年11月6日閲覧。
参考文献[編集]
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1936年。