滝口武士
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c4/Takiguchi_Takeshi.jpg/150px-Takiguchi_Takeshi.jpg)
滝口 武士︵たきぐち たけし、1904年5月23日 - 1982年5月15日︶は、大分県出身の日本の詩人。
略歴[編集]
大分県東国東郡武蔵町︵現‥国東市︶の出身。大分師範学校を卒業。 中国の大連市に渡り、安西冬衛らが大連市で創刊した詩誌﹃亞﹄に3号から参加︵1924年︶[1]、3号から23号までは実質的に滝口と安西の2人で編集を行なっていた[2]。 大連では小学校の教師をしており、生徒にはのちの詩人、清岡卓行がいた[3]。 他に﹃詩と詩論﹄﹃詩聖﹄﹃日本詩人﹄などに作品を投稿していた。特に﹃亞﹄に発表した作品は2行詩が多く、単純で簡素な表現形式を取っていた[1]。1933年に、﹃亞﹄に発表した作品を中心に収めた詩集﹃園﹄を発行。 1939年に帰国し、大分県で教員を勤めた。 1984年死去、享年77。著書[編集]
- 『園 詩集』 (1933年、椎の木社) - 1994年に滝口武士先生を偲ぶ会から再版。
- 『道 滝口武士詩集』昭和詩大系(1985年、宝文館出版)
- 『団栗 滝口武士作品集 回覧詩誌』全3巻 滝口武士先生を偲ぶ会 1985-87
- 『鵲 滝口武士作品集』(1988-89年、滝口武士先生を偲ぶ会)
- 『門 滝口武士作品集』(1990-92年、滝口武士先生を偲ぶ会)
- 『生活 詩綜合誌 滝口武士作品集』(1993年、滝口武士先生を偲ぶ会)
- 『庭 滝口武士詩集』大坂透編 (1995年、朝日書林)
脚注[編集]
(一)^ ab倉田紘文﹁滝口武士論 (一) : 詩誌﹃亜﹄の時代﹂﹃別府大学紀要﹄第23巻、別府大学会、1982年1月、17-27頁、ISSN 0286-4983、CRID 1050564287797290368。
(二)^ エリス俊子﹁畳まれる風景と滞る眼差し : ﹃亞﹄を支える空白の力学について﹂﹃立命館言語文化研究= 立命館言語文化研究﹄第22巻第4号、立命館大学国際言語文化研究所、2011年3月、119-129頁、doi:10.34382/00002625、hdl:10367/4077、ISSN 0915-7816、CRID 1390853649752547584。
(三)^ 清岡卓行﹃窓の緑 : 随筆集﹄小沢書店、1977年。doi:10.11501/12494155。 NCID BN13481927。全国書誌番号:77032652。