片山桃史
片山 桃史︵かたやま とうし、1912年8月23日 - 1944年1月21日︶は、兵庫県出身の俳人。本名・隆雄。
人物[編集]
黒井村︵現・丹波市春日町︶生まれ。酒屋の次男。旧制柏原中学校︵現・兵庫県立柏原高等学校︶を卒業後、鴻池銀行︵三菱東京UFJ銀行の前身︶に入行。俳句は旧制中学在学中よりはじめ、﹁鬼灯﹂誌で西山泊雲に師事、﹁ホトトギス﹂を経て、1935年に日野草城の﹁旗艦﹂創刊に同人参加。1937年8月応召、中国大陸にて従軍しながら戦地で詠んだ前線俳句を本国に送り﹁旗艦﹂に発表した。1940年帰国、句集﹃北方兵団﹄︵三省堂 俳苑叢刊︶を刊行。1941年に再度応召し、東部ニューギニアで戦死した。戦後、宇多喜代子が遺稿などを集め、1984年に﹃片山桃史集﹄を編集刊行している。代表句に﹁千人針はづして母よ湯が熱き﹂など。参考文献[編集]
- 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
- 宇多喜代子 『ひとたばの手紙から 戦火を見つめた俳人たち』 角川ソフィア文庫、2006年
- 『片山桃史集』 南方社 1984年
外部リンク[編集]
- 生誕100年に遺品展示 俳人・片山桃史 丹波新聞