日野草城

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1937







1953





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1922鹿20[7][8]3[9]

著書[編集]

句集[編集]

  • 『草城句集(花氷)』(京鹿発行所、1927年)
  • 『青芝』(京鹿発行所、1932年)
改定縮刷本『青芝』(宝書房、1947年)
  • 『昨日の花』(龍星閣、1935年)
  • 『轉轍手』(河出書房、1938年)
  • 『青玄』(自選句集)(三省堂、1940年)
  • 『旦暮』(星雲社、1949年)
  • 『自選句集日野草城集』(現代俳句社、1950年)
  • 『人生の午後』(青玄俳句会、1953年)
  • 『草城三百六十句』(自選句集)(草城句集刊行会、1955年)

句文集など[編集]

  • 『新航路』(句文集)(第一書房、1940年)
  • 『展望車』(句文集)(第一書房、1940年)
  • 『微風の旗』(評論・随筆)(羽田書房、1947年)
  • 『新月』(長編小説)(邑書林、1991年)

出典・脚注[編集]

  1. ^ 神陵俳句会→京大三高俳句会という流れで語られるのは、草城自身の記した『俳句文学全集 日野草城篇』(1937 第一書房)「年譜」中の記述を踏まえたものと考えられているが、「ホトトギス」大正8年10月号の岩田紫雲郎報「京大神陵俳句会」、同大正9年4月号の草城による虛子歓迎句会報中にある「私達でやつてゐる京大三高俳句会」という記述などを勘案したうえで、「京大神陵俳句会は結成間もなく、自然に京大三高俳句会と呼ばれるやうになつてゆく」(島田牙城 『俳句の背骨』p146-147 2017 邑書林)という異説も出されている。
  2. ^ 秋尾敏水原秋桜子と『馬酔木』」『俳壇』第11号、2000年、2012年2月6日閲覧 
  3. ^ 『現代俳句ハンドブック』、212-213頁
  4. ^ 『日野草城』 152頁
  5. ^ 『現代俳句大事典』 469頁
  6. ^ 『定本 現代俳句』 164頁
  7. ^ 『日野草城』 11頁
  8. ^ 『日野草城』 116頁
  9. ^ 『日野草城』 156頁

参考文献[編集]

関連文献[編集]

外部リンク[編集]