牛尾梅吉
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牛尾 梅吉︵うしお うめきち、1864年12月17日︵元治元年11月19日︶[1] - 1934年︵昭和9年︶5月4日︶は、日本の政治家︵姫路市会議員︶、相場師、実業家、兵庫県多額納税者[2][3]、資産家[4][5]。姫路商工会議所会頭[6]。姫路水力電気[6]、姫路信託各社長。姫路銀行頭取[2]。牛尾合資会社代表社員[注 1]。山陽商事代表取締役[2][注 2]。族籍は兵庫県平民[10][11][12]。神戸銀行副頭取、中国合同電気社長牛尾健治の父。ウシオ工業社長牛尾吉朗、ウシオ電機会長牛尾治朗の祖父。
経歴[編集]
播磨国姫路︵現・兵庫県姫路市︶に生まれた[13][注 3]。牛尾政五郎の二男[2][12]。牛尾政次郎の弟[10][12]。1882年、兄・政次郎方より分かれて一家を創立した[2]。分家の二男だった梅吉は自分で生計をたてる必要があった[15]。呉服の行商から始めた[15]。 27歳の頃には反物を商っていた[13]。1892年、1893年頃から1897年頃まで太物商売に力行して多少の財を積んだ[13]。しかし﹁これでは産を為すに足らぬ﹂と市場仲買商売に目をつけた[13]。姫路米穀取引所仲買人となった[16]。 30歳にして姫路市場に開店した[13]。仲介業[2]、有価証券売買業[10]、米穀仲買業[5][17]を営んだ。次第に姫路の財界に頭角を現し関係事業が多くなった[13]。仲買業は甥の友治に譲った[13]。1912年以来1922年まで市会議員を務めた[13]。 1913年、大阪・堂島に進出し、相場師石井定七との大勝負で勇名を馳せた[18]。1917年、姫路水力電気社長、のち中国合同電気副社長[19]。1927年、姫路商業銀行頭取に就任[19]。姫路瓦斯、日本フエルト帽体、姫路莫大小、羽東川電気、中国合同電気、新見電気、鳥取電燈、播丹鉄道各取締役、姫路電気化学工業[12]、大阪堂島米穀取引所監査役なども務めた[2]。人物[編集]
相場師[編集]
大阪に出て大阪株式取引所と堂島の米穀取引所で相場を張った[15]。梅吉の相場のやり方はそろばん本位で、堅実を旨とした[18]。敵方の無理な買い占めや売り崩しに向かって、理詰めの戦略でたたきつぶすのを身上とした[18]。梅吉は堂島取引所の重役に就いた時、新聞記者に﹁投機社会で財をなすのは容易です。そろばん本位でやるなら間違いない。新聞記者などしているより、財を作るにはいい商売ですよ﹂と語っている[13][18]。人柄[編集]
梅吉は幼い頃から商業に多大の趣味を抱いていた[1]。姫路実業界の牛耳を執り、同市の繁栄に多大の功労があり、重んぜられた[1]。米相場で財を成し、姫路駅周辺の大地主となり[20]、資産家として知られた。 ﹃時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家﹄︵1916年3月 - 1916年10月︶によると﹁財産見積額・70万円、財産種別・土地、家屋、有価証券、貸金﹂である。﹃商工資産信用録 第25回﹄によると、牛尾梅吉︵調査年月・1923年4月︶は﹁正身身代・G、信用程度・Aa、職業・有価証券売買﹂である[21]。﹃大正人名辞典﹄によると﹁資産約100万円を算するに至る﹂という[1]。 梅吉は演劇愛好家であり、1897年頃に梅吉、横山卯朔ら7人の有志によって西二階町に演芸館七福座が開館した[22]。住所は姫路市西紺屋町[5][11][12]。家族・親族[編集]
- 牛尾家
- 父・政五郎[2]
- 母・みな(1830年 - ?、兵庫、三木太平の長女、絶家三木氏を再興)[2]
- 兄・政次郎(兵庫平民)[11]
- 妻・きぬゑ(1875年 - ?、兵庫平民、望月有寧の三女)[11]
- 長男・健治[11][14](1898年 - 1958年)
- 二男・敏(1907年 - ?、兵庫、三木みなの養子[12]、野村銀行員[23])
- 三男・清(1910年[6]、あるいは1909年[11] - ?)
- 庶子
- 養子・ハナ(1895年 - ?、京都平民、伊藤洞月の長女、乾利一の妻)[6]
- 親戚
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ abcd﹃大正人名辞典﹄1298頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2018年6月6日閲覧。
(二)^ abcdefghij﹃人事興信録 第9版﹄ウ47-48頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月11日閲覧。
(三)^ ﹃日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿﹄附録 全国多額納税者 兵庫県15頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2018年11月11日閲覧。
(四)^ ﹃全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査﹄9頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2018年5月28日閲覧。
(五)^ abc﹃日本全国著名人物鑑﹄343頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2023年11月13日閲覧。
(六)^ abcd﹃人事興信録 第8版﹄ウ41頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月11日閲覧。
(七)^ ﹃兵庫県会社一覧 昭和15年12月末日現在﹄100頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月21日閲覧。
(八)^ ﹃統計年報 昭和2年﹄72頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月21日閲覧。
(九)^ ﹃兵庫県会社一覧 昭和15年12月末日現在﹄106頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月21日閲覧。
(十)^ abc﹃人事興信録 第6版﹄う51頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2021年5月14日閲覧。
(11)^ abcdefgh﹃人事興信録 第4版﹄ウ42頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月11日閲覧。
(12)^ abcdefgh﹃人事興信録 第5版﹄う52頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2018年11月11日閲覧。
(13)^ abcdefghi﹃黄金の渦巻へ﹄224-228頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月11日閲覧。
(14)^ ab﹃人事興信録 第15版 上﹄ウ13頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2017年12月11日閲覧。
(15)^ abc﹃わたしの足跡 関西経済人列伝﹄154-155頁。
(16)^ ﹃関西実業名鑑 明治40年﹄姫路市︵播磨国︶46頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2016年2月21日閲覧。
(17)^ ﹃日本紳士録 第18版﹄大阪うの部225頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2021年5月14日閲覧。
(18)^ abcd﹃日本相場師列伝﹄246-249頁。
(19)^ ab牛尾梅吉とはコトバンク。2016年2月11日閲覧。
(20)^ “ウシオ電機牛尾治朗会長は“平成の後白河法皇”と呼ばれた男”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2020年4月1日). 2022年7月11日閲覧。
(21)^ ﹃商工資産信用録 第25回﹄兵庫県う之部50頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2022年12月3日閲覧。
(22)^ ﹃ふるさと城南ものがたり﹄73頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2023年11月13日閲覧。
(23)^ ﹃人事興信録 第10版 下﹄ミ14頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2017年8月8日閲覧。