玃猿
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/Wakan_Sansai_Zue_-_Yamako.jpg/160px-Wakan_Sansai_Zue_-_Yamako.jpg)
玃猿︵かくえん︶は、中国の伝説上の動物。玃︵ ︶[1]、馬化︵ばか︶ともいう。サルに類するもので、人間の女性を さらって犯すという特徴を持つ[2]。
玃︵やまこ︶ ﹂の名で説明されており、同項の中で日本の飛騨・美濃︵現・岐阜県︶の深山にいる妖怪﹁黒ん坊︵くろんぼう︶[注 1]﹂の名を挙げ﹁思うに、これは玃の属だろうか﹂と述べられている。黒ん坊とは黒く大きなサルのようなもので、長い毛を持ち、立って歩く。人語を解する上に人の心を読むので、人が黒ん坊を殺めようとしても、黒ん坊はすばやく逃げるので、決して捕えることはできないという[7]。
また、日本の江戸後期の随筆﹃享和雑記﹄にも﹁黒ん坊﹂の名がある。それによれば、美濃国根尾︵現・岐阜県本巣市︶の泉除川に住む女のもとには、夜になると幻のような怪しい男が訪れ、しきりに契ろうとしていた。村人たちはその者を追い払おうと家を見張ったが、見張りのいる夜には現れず、見張りをやめると現れた。そこで女は鎌を隠し持っておき、例の男が現れるや鎌で斬りつけると、男は狼狽して逃げ去った。村人たちが血痕を辿ると、それは善兵衛という木こりの家のもとを通り、山まで続いていた。善兵衛のもとには以前から黒ん坊が仕事の手伝いに来ており、それ以降は黒ん坊が現れなくなったため、この事件は黒ん坊の仕業といわれた[8]。
﹃享和雑記﹄の著者は、これを﹃本草綱目﹄にある玃猿に類するものとし、その特徴について﹃和漢三才図会﹄とほぼ同じことを述べているため[8]、﹃享和雑記﹄は﹃和漢三才図会﹄を参考に書かれたものと見られている[9]。しかし﹃和漢三才図会﹄では前述のように﹁玃の属だろうか﹂と書いてあるにすぎないため、黒ん坊と玃猿を同一のものとは言い切れないとの指摘もある[9]。
日本の江戸時代の絵師・鳥山石燕による妖怪画集﹃今昔画図続百鬼﹄でも、玃猿の姿が﹁覚﹂として描かれており、本文中には黒ん坊のことが﹁飛騨美濃の深山に玃あり﹂と述べられている[9][10]。
概要[編集]
中国の本草書﹃本草綱目﹄によれば、猴︵こう。サルのこと[3]︶より大きいものとあり、﹃抱朴子﹄によれば、800年生きた獼猴︵みこう。アカゲザルのこと[4]︶が﹁猨﹂となり、さらに500年生きて玃猿になるとある[2]。 ﹃本草綱目﹄では﹁玃﹂﹁猳玃﹂﹁玃父﹂の名で記載されている[5]。玃は老いたサルであり、色は青黒い。人間のように歩き、よく人や物をさらう。オスばかりでメスがいないため、人間の女性を捕らえて子供を産ませるとある[5]。 ﹃捜神記﹄﹃博物志﹄には﹁玃猿﹂﹁猳国﹂﹁馬化﹂の名で、以下のようにある。蜀の西南の山中には棲むもので、サルに似ており、身長は7尺︵約1.6メートル︶ほどで、人間のように歩く。山中の林の中に潜み、人間が通りかかると、男女の匂いを嗅ぎ分けて女をさらい、自分の妻として子供を産ませる。子供を産まない女は山を降りることを許されず、10年も経つと姿形や心までが彼らと同化し、人里に帰る気持ちも失せてしまう。子を産んだ女は玃猿により子供とともに人里へ帰されるが、里へ降りた後に子供を育てない女は死んでしまうため、女はそれを恐れて子供を育てる。こうして玃猿と人間の女の間に生まれた子供は、姿は人間に近く、育つと常人とまったく変わりなくなる。本来なら姓は父のものを名乗るところだが、父である玃猿の姓がわからないため、仮の姓として皆が﹁楊﹂を名乗る。蜀の西南地方に多い﹁楊﹂の姓の者は皆、玃猿の子孫なのだという[1][2]。このような玃猿の特徴は、中国の未確認動物である野人と一致しているとの指摘もある[2]。 南宋時代の小説集﹃夷堅志﹄には﹁渡頭の妖﹂と題し、以下のような話がある。ある谷川の岸に、夜になると男が現れ、川を渡ろうとする者を背負って向こう岸に渡していた。人が理由を尋ねても、これは自分の発願であり理由はないと、殊勝に返事をしていた。黄敦立という胆勇な男が彼を怪しみ、同じように川を渡してもらった3日後、お礼に自分がその男を渡そうと言い、拒む男を無理に抱えて川を渡り、大石に投げつけた。悲鳴を上げたその男を松明の明かりで照らすと、男の姿は玃猿に変わっていた。玃猿を殺して焼くと、その臭気は数里にまで届いたという[2]。類話[編集]
﹃神異経﹄によれば、西方にいる﹁𧳜﹂はロバほどの大きさだが猴に似ており、メスばかりでオスがいないので、人間男性を捕えて性交して子を孕むとあり[6]︵玃猿と同じ行動をするが性別が逆である︶、玃猿に類するものと考えられている[2][7]。 日本では、江戸時代に玃猿が日本国内にもいるものと信じられ、同時代の類書﹃和漢三才図会﹄に﹁脚注[編集]
- 注釈
- ^ 『図説 日本妖怪大全』(ISBN 978-4-06-256049-8)などの水木しげるの著書では「黒人坊(こくじんぼう)」の名で記載されている。
- 出典
(一)^ ab竹田他編 2006, pp. 291–292
(二)^ abcdef實吉 1996, pp. 53–55
(三)^ “goo辞書”. goo. 2011年2月27日閲覧。
(四)^ “goo辞書”. 2011年2月27日閲覧。
(五)^ ab李 1578, p. 440
(六)^ 東方朔 著﹁神異経﹂、竹田晃、黒田真美子 編﹃中国古典小説選﹄ 1巻、明治書院、2007年、262-263頁。ISBN 978-4-625-66405-2。
(七)^ ab寺島 1712, pp. 142–143
(八)^ ab柳川 1803, pp. 239–241
(九)^ abc村上 2005, pp. 338–339
(十)^ 稲田篤信、田中直日 編﹁今昔画図続百鬼﹂﹃鳥山石燕 画図百鬼夜行﹄高田衛監修、国書刊行会、1992年、114頁。ISBN 978-4-336-03386-4。