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瓜生保

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凡例

瓜生保
瓜生保の墓(福井県敦賀市樫曲)北緯35度39分53.6秒 東経136度6分0.3秒 / 北緯35.664889度 東経136.100083度 / 35.664889; 136.100083
時代 鎌倉時代末-南北朝時代初期
生誕 不詳
死没 1337年2月13日延元2年/建武4年1月12日
別名 判官(通称)
墓所 福井県敦賀市樫曲
官位 検非違使判官、贈従四位
主君 足利尊氏脇屋義治
氏族 嵯峨源氏渡辺氏瓜生氏
父母 父:瓜生衡(衛)
兄弟 、義鑑房(道鑑房)、林(源琳)、重、照、気比氏治
豪、晃、信(謙の父)
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133610[1][2]

11[3][4]

西[3]8[4]

[5]196136330[6][7]191144

41915[8]


脚注[編集]

  1. ^ 安井『太平記要覧』・160頁、奥富・208頁
  2. ^ 安井・84頁。安井は『太平記』の作者が越前の諸豪族がこの時点で義貞に殆ど靡いていなかったことを強調したいために保が偽の綸旨に騙されて離反したと記述したのであって、保が偽の綸旨に騙されたことについては「甚だ疑わしい」という見解を示している。
  3. ^ a b 安井『太平記要覧』160頁
  4. ^ a b 奥富・213頁
  5. ^ 『福井県史』通史編2 中世 第二章 南北朝動乱と越前・若狭 第一節 建武新政と南北両朝の戦い 四 金ケ崎城の攻防
  6. ^ 『敦賀の歴史』232頁
  7. ^ 「市指定文化財一覧(民俗文化財・記念物)」敦賀市公式HP
  8. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.34

参考文献[編集]

関連項目[編集]