石川武美
石川 武美 いしかわ たけよし | |
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誕生 |
1887年10月13日![]() |
死没 | 1961年1月5日(73歳没) |
墓地 | 多磨霊園 |
職業 | 実業家、編集者 |
言語 |
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最終学歴 | 旧制・大分県立宇佐中学校(現在の大分県立宇佐高等学校)中途退学 |
代表作 | 『主婦之友』 |
デビュー作 | 『不運より幸運へ』(1926年) |
配偶者 | 石川 かつ |
子供 |
石川 勝郎 (長男) 石川 恵美子 (長女) 石川 数雄 (婿・長女の夫) |
石川 武美︵いしかわ たけよし、1887年10月13日 - 1961年1月5日︶は、日本の実業家、編集者である[1][2][3][4]。主婦の友社の創業者として知られる[1][2][3][4][5]。主婦之友社︵現在の主婦の友社︶社長、日本出版配給社長、東京出版販売︵現在のトーハン︶社長・会長、日本出版会会長を歴任した[1][2][3][4]。
人物・来歴[編集]
1887年︵明治20年︶10月13日、大分県宇佐郡に生まれる[1][2][3][4]。 満17歳を迎える1904年︵明治37年︶、旧制・大分県立宇佐中学校︵現在の大分県立宇佐高等学校[6]︶を中途退学して上京[7]、同文館︵現在の同文舘出版︶に入社する[1][2]。羽仁吉一、都河龍らとともに﹃婦人之友﹄︵1908年創刊︶、﹃婦女界﹄︵1910年創刊︶の刊行に尽力する[1][2]。1906年︵明治39年︶6月24日、プロテスタント会衆派教会の海老名弾正から洗礼を受ける。 その後独立して、1916年︵大正5年︶9月18日、東京家政研究会を設立、出版事業を開始する[1][2][3][4][5]。1917年︵大正6年︶2月14日、﹃主婦之友﹄︵現在の﹃主婦の友﹄︶を創刊する[1][2][3][4][5]。﹃婦人画報﹄、﹃婦人之友﹄、﹃婦女界﹄、﹃婦人公論﹄といった先行する婦人雑誌を3年間で抜き去り、発行部数第1位に伸ばした[1][2]。1921年︵大正10年︶5月、東京家政研究会を﹁主婦之友社﹂と改称、1924年︵大正13年︶11月には﹁株式会社主婦之友社﹂として株式会社化、同社社長に就任した[1][5]。 1941年︵昭和16年︶、財団法人石川文化事業財団を設立する。1944年︵昭和19年︶9月、日本出版配給統制株式会社︵日本出版配給︶社長に就任、これを兼務する[1]。 第二次世界大戦終結後の1946年︵昭和21年︶5月、公職追放により主婦之友社、日本出版配給の両社を退社、主婦之友社の社長には、長女の恵美子の婿・石川数雄が就任する[1][5]。1947年︵昭和22年︶12月1日、石川文化事業財団が、主婦之友社社内に﹁18歳以上女性﹂限定の私立図書館であるお茶の水図書館︵現在は石川武美記念図書館︶を開設する[8]。1950年︵昭和25年︶、公職追放を解除され、東京出版販売︵現在のトーハン︶の社長に就任した[1][2][3][4]。1953年︵昭和28年︶12月、﹁株式会社主婦之友社﹂を﹁株式会社主婦の友社﹂と改め、同月発売の翌年新年号から誌名も﹃主婦の友﹄に改称する[5]。 1958年に、﹁婦人家庭雑誌の創造と確立のため、四十二年一貫して編集経営に従事し、戦後はその大型化の先鞭をつけた﹂として、第6回菊池寛賞を受賞。 1961年︵昭和36年︶1月5日、死去した[1][2][3][4]。満73歳没。家族[編集]
●妻 : 石川かつ ●長男 : 石川勝郎 ●長女 : 石川恵美子 ︵1915年2月16日 - 1990年5月18日︶ ●女婿 : 石川数雄 ︵1905年5月12日 - 1982年4月27日︶ - 主婦の友社第2代社長 ●孫 : とも子 = 与謝野馨 ●孫 : みち子 = 飯田成一 ●孫︵数雄の長男︶ : 石川晴彦 ︵1942年8月24日 - ︶ - 主婦の友社第3代社長 ●孫︵数雄の次男︶ : 石川康彦 ︵1944年5月 - ︶ - 主婦の友社第4代社長ビブリオグラフィ[編集]
国立国会図書館を中心とした著書の一覧である>[9][10]。- 『不運より幸運へ』、主婦之友社、1926年
- 『信念の上に立つ主婦之友社の経営』、主婦之友社、1926年
- 『わが愛する生活』、主婦之友社、1940年
- 『婦人衛生と育児』、主婦之友社、1940年
- 『続主婦之友花嫁講座 4 洗濯と衣類整理』、主婦之友社、1940年5月
- 『わが愛する家庭』、主婦之友社、1942年
- 『わが愛する事業』、主婦之友社、1944年
- 『信仰の道』、主婦之友社、1946年
- 『私の百姓生活』、朝倉書店、1954年
- 『信仰雑話』、主婦の友社、1960年
- 『職場雑話』、主婦の友社、1960年
- 『石川武美歌ノート五万首から』、編獅子文六、主婦の友社、1961年 - 以下没後の刊行
- 『家庭雑話』、主婦の友社、1962年
- 『出版人の遺文 主婦の友社 石川武美』、編栗田確也、栗田書店、1968年
- 『人生随想 - 石川武美選集』、編主婦の友社、お茶の水図書館、1971年2月
- 『石川武美全集』全6巻、編「石川武美全集」刊行会、石川文化事業財団、1980年2月
脚注[編集]
(一)^ abcdefghijklmn石川武美、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年7月3日閲覧。
(二)^ abcdefghijk石川武美、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年7月3日閲覧。
(三)^ abcdefgh石川武美、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年7月3日閲覧。
(四)^ abcdefgh石川武美、大辞林 第三版、コトバンク、2012年7月3日閲覧。
(五)^ abcdef主婦の友社小史、主婦の友社、2012年7月3日閲覧。
(六)^ 沿革、大分県立宇佐高等学校、2012年7月3日閲覧。
(七)^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、﹃コンサイス日本人名辞典 第5版﹄、株式会社三省堂、2009年95頁。
(八)^ 2013年4月1日より現在の名称に改称。
(九)^ 石川武美、国立国会図書館、2012年7月3日閲覧。
(十)^ 石川武美、国立情報学研究所、2012年7月3日閲覧。