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科学映像館︵かがくえいぞうかん、Science Film Museum︶は、日本で過去に制作された科学映画の保存と普及を図るインターネットによる映像アーカイブである。科学映像館の企画運営は、2007年6月7日に設立されたNPO法人科学映像館を支える会[1]が担当。関係者、関係企業・組織、映像制作会社などの協力と個人会員および協賛企業の寄付、撤去冠の歯科医及び個人の寄付に支えられている。
日本国内では古いもので1920年代、また戦後以降となる1950年代から70年代を中心に教育目的や科学知識普及のため、多くの教育、科学映画が製作された[2]。学問や教材としても、貴重な映像遺産となりうる作品群だが、そのほとんどが長期間公開されないままフィルムが劣化し、死蔵化の一途を辿る。そこで2007年に﹁NPO法人科学映像館を支える会﹂を発足。教育、科学映画。また記録映画の映像を発掘・収集し、著作権者の了解を得た後、専門企業に委託してデジタル化などの復元処理を施し、ウェブサイト﹁科学映像館﹂などで公開している[2]。了承を得られた約1,100品は無料公開。﹁館﹂と命名されているが、デジタル博物館の形をとっており、立ち入れる建築物はない。2021年6月1,140作品を公開。
収集した映像の著作権や出演者の肖像権にまつわる事務交渉、管理も行っており、教育現場はもとより映画祭、博物館の企画展示、テレビ番組での使用への貸し出しも行っている[2]。また東京国立近代美術館付属フィルムセンター所蔵ネガフィルムのデジタル化も行った︵教育、科学映画のみ︶。
デジタル復元したデータの保管は東京光音に委託。HD化データはHDCAMテープ、DVテープ、またはブルーレイディスクにバックアップし、SD化データはデジタルベータCAMテープ、DVCAMテープ、またはDVDにバックアップ。年1回の巻き戻しとクリーニング、5年ごとに新テープへのコピーを行っている[3]。
2018年6月、日本で初めてデジタル化した313作品を国立国会図書館に納品[2][3]。
2019年1月に﹁第11回埼玉県人会善行賞﹂を受賞[2]。
2020年6月に﹁日本科学技術ジャーナリスト会議﹂の科学ジャーナリスト特別賞を受賞
2021年4月に﹁デジタルアーカイブ学会﹂実践賞を受賞
主な活動[編集]
●原版35mmネガフィルム原版から高画質のデジタル化︵HD化︶
●保管・管理
●HD化作品の普及・活用
●ウェブサイトから情報・映像を配信
●YouTube﹁NPO法人科学映像館﹂に690作品を配信
配信映像例[編集]
●﹁つばめを動かす人たち﹂製作‥加藤秀男・片田計一、撮影‥植松永吉・川村浩士 1954年 ︵株︶日本科学映画製作所 [1]
●﹁粟野村﹂製作‥岡田桑三、演出‥丸山章治、脚本‥吉見泰、撮影‥小松浩 1954年 企画‥東北電力株式会社 [2]
●﹁窓ひらく 一つの生活改善記録﹂東京シネマ生命科学シリーズ 製作‥岡田桑三 脚本‥吉見泰 1958年 東京シネマ 板硝子協会 [3]
●﹁ミクロの世界 ー結核菌を追ってー﹂製作‥岡田桑三、脚本‥吉見泰、撮影‥小林米作 1958年 中外製薬 [4]
●﹁生命誕生﹂製作‥岡田 桑三、脚本‥吉見 泰、撮影監督‥小林米作 1963年 [5] ︵同HD︶[6]
●﹁野尻湖発掘の記録﹂1973年 野尻湖発掘調査団 [7]
●﹁THE BONE﹂製作‥小林米作 ヨネ・プロダクション 1982年 藤沢薬品工業・帝人 [8]
●﹁死線を越えて-賀川豊彦物語-﹂︵短縮版︶ 監督:山田典吾 製作:山田火砂子、提供‥賀川豊彦記念松沢資料館 [9]
●﹁信州のまつり﹂1965年 企画‥長野県、長野県観光連盟 制作‥岩波映画製作所 [10]
●科学映像館 館長‥折茂 肇︵健康科学大学学長︶
●企画運営‥NPO法人科学映像館を支える会
●事務所‥〒350-1103 埼玉県川越市霞ヶ関東3-1-16
関係映像制作会社[編集]
●東京シネマ
●東京シネマ新社 [11]
●ヨネ・プロダクション
●日立製作所
●岩波映画製作所
●日本シネセル
●日本映画新社
●日本ビジュアルコミュニケーションセンター
●日本ビデオ・映画製作所
●イメージ・サイエンス
●十字屋
●学習研究社
●日映科学映画製作所
●英映画会社
●東京文映
●シネマ沖縄
●古賀プロだクッション
●シブイプロ
●その他
各地域の博物館、図書館、生涯教育センターなどでも多数の記録映画が製作、所蔵されているが、これらは提供されていない。交渉の末、文化庁や県知事の許可を得たうえ、無編集の16mmフィルム素材60作品を入手しかけたこともあったが、出演者の肖像権を理由に断念している[3]。