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稲葉 観通︵いなば あきみち︶は、豊後国臼杵藩14代藩主。
稲葉通孚︵第11代藩主稲葉雍通の四男、第12代尊通・第13代幾通の弟︶の長男として生まれたが、先代藩主・幾通が天保14年︵1843年︶12月に若死にした後、祖父の雍通によって幾通の養嗣子として擁立され、天保15年︵1844年︶7月24日に家督を継ぐ。しかし、幼年のため、実際の藩政は祖父が取り仕切っていた。天保16年︵1845年︶、流刑に処された元幕臣の渋川敬直を預かっている。
弘化4年︵1847年︶に祖父が死去すると藩政を執り始める。義父が有名な山内容堂︵豊信︶であったことから、軍制改革や海岸の測量、外国船に対する砲台の建設など、藩政の整備に尽力した。
文久2年︵1862年︶閏8月4日に24歳で死去し、跡を養嗣子の久通が継いだ。幕末の動乱期ということから、その死はしばらく隠匿された。
父母
●稲葉通孚︵実父︶
●稲葉幾通︵養父︶
正室
●鏸姫 ー 山内容堂の養女、山内豊熈の娘
養子
●稲葉久通 ー 岡野知英の五男
稲葉氏 臼杵藩14代藩主 (1844年 - 1862年) |
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