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素人鰻︵しろうとうなぎ︶は、落語の演目名。八代目桂文楽の至芸が知られる。原話は噺本﹃軽口大矢数﹄︵安永2年‥1773年︶の﹃かば焼﹄、または﹃大きにお世話﹄︵安永9年‥1780年︶の﹃蒲焼﹄。
あらすじ[編集]
明治維新後、武士であった階級は士族となるが秩禄処分で、米を受け取ることが出来なくなり代わりに支給された現金で、なれない商売をすることになる。ある旗本も、奥方や娘を従業員にして鰻屋を開業したはいいが、いわゆる﹁士族の商法﹂で商売はおろか、鰻の調理すらもできない。
幸い以前屋敷に出入りしていた板前職人﹁神田川の金﹂を雇うことになるが、この金さん、腕は抜群なのだが酒癖が悪いのが玉に疵、それでも﹁世話になった旦那のためですから﹂と懸命に働く。おかげで大繁盛である。だが開業日の夜。﹁今晩くらいはいいだろう。飲みなさい﹂と勧めたのが裏目に出、金は酔っ払って暴れだす。
翌朝には反省して泣きながら許しを乞う金であったが、何回も続き、とうとう店を追い出される。
﹁旦那様、金がいまだに帰ってまいりません。今日は帰ってくる気遣いはございませんから休業をいた…﹂
﹁奥、お前はどうでも構わんがな。夜が明けると休業にかかっておるが、売り込んだ店でないからそんなわけにはいかん﹂
﹁いかんとおっしゃっても金が帰って…﹂
﹁まいらんければ、わしがするっ!﹂
既に客が多く待っている。殿様は慣れない手つきで鰻をつかまえようと﹁イよっと…イヨヲ、ウン…ウン…笊を持ってこい。笊…﹂と大騒動になる。
ついには、鰻をつかまえようと表に飛び出し﹁…どこへ参るかわかるか、前に回って鰻に聞いてくれ﹂
士族が慣れない商売で失敗し没落する事例が社会問題化し、政府に対して反感を持つ不平士族となって、征韓論や自由民権運動、西南戦争などにつながる。この噺はそんな有様を実に写実的に描いており、同じ没落士族を扱った歌舞伎の﹁水天宮利生深川﹂とともに歴史的にも貴重な資料である。
金の酔態や殿様の鰻を捕まえようとする演技が見せ場で、かなりの技量が求められる。その点でも八代目桂文楽の演技は絶品であった。彼自身、この演目で1954年︵昭和29年︶、第9回文部省芸術祭奨励賞を受賞している︵落語家として初︶。また、八代目三笑亭可楽は﹃士族のうなぎ﹄の演目で演じていた。
金のあだ名にある﹁神田川﹂とは、東京都千代田区に実在する1806年創業という老舗の鰻屋である。文楽自身も贔屓にしていた。ここでは、しばしば義太夫の発表会をも行い、文楽は﹃寝床﹄を地で行くかのように楽しげに唸っていたという。また五代目古今亭志ん生の叙勲記念の時に祝賀会も行われるなど、落語界との交流も深い。ちなみにかきいれどきであるはずの土用の丑の日に﹁店が混雑すると味が落ちる﹂ということで、店を開けないことでも知られている。
三遊亭圓朝作の﹁御膳汁粉﹂は、士族が汁粉屋で失敗する内容だが、﹁素人鰻﹂の冒頭部でも主人公が汁粉屋をしようとして偶々金に出会い、鰻屋にしようと決意する場面があり何らかの関連性が認められる。
大阪で演じられる﹃鰻屋﹄と類似しているが、原作の小噺が異なるので偶然に同じ内容の噺が出来たとみなされる。なお、﹃鰻屋﹄が東京に移植された時﹃素人鰻﹄の演目名を付け、五代目古今亭志ん生や五代目柳家小さん系統の落語家が演じているので注意を要する。
参考文献[編集]
関連項目[編集]