織田信及
表示
織田 信及︵おだ のぶひろ/のぶつぐ、天保14年︵1843年︶ - 明治22年︵1889年︶8月2日︶は、日本の華族。大和柳本藩の第13代︵最後︶の藩主。尚長流織田家13代。
第11代藩主・織田信陽の十男。正室は片桐貞信の八女謙子。子は長男信愛、次男織田秀実など3男2女。通称は元丸、修理。初名は長依。官位は従五位下大和守。
生涯[編集]
天保14年︵1843年︶生まれとも、天保15年︵1844年︶10月8日生まれ[1]とも言われている。慶応4年︵1868年︶4月12日、新政府側の優位な情勢を見極めたところで、兄の12代藩主信成の名代として上洛する。閏4月19日、信成の養子となる。5月6日、信成の隠居により家督を相続した。5月14日、従五位下大和守に叙任する。6月25日、新政府から帰藩を許可される。10月12日、崇神天皇陵、景行天皇陵の修復許可を願う。 明治2年︵1869年︶6月24日、版籍奉還により柳本藩知事となり、明治4年︵1871年︶7月14日、廃藩置県で免官された。明治2年︵1869年︶12月2日、片桐貞信の娘謙子と結婚する。明治9年︵1876年︶、宮中侍候となる。明治17年︵1884年︶7月8日、子爵となる。明治22年︵1889年︶8月2日、47歳で死去した。法号は泰林院殿大道宗弁大居士。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。系譜[編集]
子女は3男2女。脚注[編集]
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 叙爵 |
子爵 (柳本)織田家初代 1884年 - 1889年 |
次代 織田秀実 |