聖天使首大聖堂 (モスクワ)
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本記事ではモスクワ・クレムリンの大聖堂広場にある、聖天使首大聖堂[1]︵せいてんししゅだいせいどう、Архангельский собор、所属‥ロシア正教会︶を扱う。ロシア語表記からアルハンゲリスキー大聖堂とも呼ばれる。また別の表記︵Собо́р свято́го Архистрати́га Михаи́ла︶から聖天使首ミハイル大聖堂とも訳し得る。
名称
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ロシア語表記"Архангельский собор"︵アルハンゲリスキイ サボール︶から、﹁アルハンゲリスキー大聖堂﹂とも表記される。アルハンゲリスキイとは﹁アルハンゲルの﹂を意味する語であり、正教会では天使首︵﹁天使のかしら﹂の意︶と訳される。他教派では大天使とも。
天使首とは、天使ミハイル︵ミカエル︶の尊称︵ミハイルの他にも天使首はいる︶。
ミハイルはミカエル︵ギリシア語: Μιχαήλ︶の中世ギリシャ語︵現代ギリシャ語も同様︶の読み方﹁ミハイル﹂からロシア語がそのまま転写した読みである。
歴史
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1333年に建てられた古い大聖堂のあった場所に、1505年から1508年の間に建設された。工事監督はイタリア人建築家アレヴィツ・ノーヴィ︵Алевиз Новый、イタリア名‥アロイジオ︶による。
16世紀から17世紀にかけて制作されたフレスコ画がある。カザンのイアコフ、ステファン・リャザン、イオシフ・ヴラディミロフによって幾つかは描かれており、他は1652年から1666年の間に描かれている。壁面の石細工は明らかにイタリア・ルネッサンスの影響を受けている。雷文様の金メッキされた木製のイコノスタスは13メートルの高さがあり、17世紀から19世紀にかけてのイコンが嵌め込まれている。シャンデリアは17世紀のものである。
ロシア軍の戦勝は本大聖堂で祝われていた。ロシアのツァーリ、大公達は、17世紀までは本大聖堂に埋葬され、それらはこんにちまで残っている︵イヴァン1世、ドミートリー・ドンスコイ、イヴァン3世、イヴァン4世︵雷帝︶、イヴァン5世などが含まれる︶[2]。54の被葬者が大聖堂内におり、1636年から1637年の間に華麗に装飾された46の墓石があり、それらは1903年に青銅で光沢をつけられた。イヴァン4世︵雷帝︶の息子であるウグリチのドミトリーは、17世紀に本大聖堂に埋葬された。ピョートル2世もここに葬られているが、彼はピョートル大帝以降のロシアの支配者の中では唯一、モスクワのクレムリンに埋葬されている人物である︵サンクトペテルブルクの首座使徒ペトル・パウェル大聖堂に葬られていないピョートル大帝以降の支配者としては、他にはイヴァン6世が居るのみである︶。
1917年のロシア革命時には戦闘により損害を受け、その後、ボリシェビキによって閉鎖された。1950年代には、破壊されずに残った他のモスクワ・クレムリンにある教会と同様に博物館として保存され、宝物の多くはクレムリンの武器庫博物館︵武器宮殿、アルジェイナヤ・パラータ︶に移されるか、海外に売却された。1992年のソビエト連邦の崩壊以降には、建物はロシア正教会に返還され、不定期に礼拝が再開されている。
他の被葬者
[編集]- フョードル1世
- セミョーン (モスクワ大公)
- ドミトリー・ヴヌク - イヴァン3世の最年長の孫