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薬丸兼武

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凡例

薬丸 兼武
時代 江戸時代後期
生誕 安永4年(1775年
死没 天保6年7月14日1835年8月8日
改名 :兼尭→兼武
別名 通称:七郎兵衛→新蔵→長左衛門
幕府 江戸幕府
薩摩藩
父母 父:久保之英、養父:薬丸兼富
兄弟 久保之正兼武
兼義、兼成
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著作[編集]

  • 『小太刀問答書』:島津久典の求めに応じて文政2年(1819年)に著述。
  • 『由緒並家傳燕飛解』:兼武の剣術が兼武自身の創案ではなく薬丸家家伝として脈々と続いてきたことを述べた書。

脚注[編集]

  1. ^ 「薬丸文書」参照。
  2. ^ 「示現流兵法」参照

参考文献[編集]

  • 村山輝志 『解題 由緒並家傳燕飛解』鹿屋体育大学 平成11年
  • 『鹿児島市史III』
  • 村山輝志 『示現流兵法』 島津書房
  • 松下志郎 『奄美資料集成』 南方新社