西本馨
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西本馨 七段 | |
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名前 | 西本馨 |
生年月日 | 1923年8月10日 |
没年月日 | 2012年1月14日(88歳没) |
プロ入り年月日 | 1948年(24歳) |
引退年月日 | 1973年(50歳) |
棋士番号 | 52 |
出身地 | 大阪府大阪市福島区 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 木見金治郎九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 西本馨 |
順位戦最高クラス | C級2組(11期) |
2017年8月23日現在 |
経歴[編集]
四段昇段︵プロ入り︶の後、徐々に視力を失う。後天的に視力を失った影響は大きく、当初は好調だった成績も徐々に落ち、1958年度の第13期順位戦C級2組で0勝14敗により陥落。その後、15年間にわたって予備クラス・奨励会A組︵どちらも当時の奨励会三段が所属したクラスの名称︶で指しつづけた。1972年前期から休場し、その後奨励会B組︵当時の奨励会二段以下クラスの名称︶に在籍。1973年10月に引退。
1974年、第1回将棋大賞で特別賞の候補となる[1][2]。
2003年1月、盤寿を迎えた。2006年には日本盲人会連合主催の全国盲人将棋大会において名誉審判長を務めた[3]。
2012年1月14日、肺炎のため死去[4][5]。88歳没。
人物[編集]
●京都府舞鶴市に道場を開いていた[6]。 ●趣味は浪曲[7]。好きな言葉は﹁人生は修行の道場なり﹂[7]。昇段履歴[編集]
●1940年 入門 ●1944年 初段 ●1948年 四段 = プロ入り ●1973年 引退 ●1974年11月3日 五段︵贈五段 = ﹁表彰感謝の日﹂表彰︶ ●1989年11月17日 六段︵贈六段 = ﹁将棋の日﹂表彰︶ ●2006年11月 七段主な戦歴[編集]
●順位戦C級2組11期脚注[編集]
- ^ 将棋に憑かれた男(将棋ペンクラブログ 2012.01.16)
- ^ 埋もれた将棋名作ルポ『将棋に憑かれた男』(4)全4回(曠野すぐり 2021年8月19日)
- ^ 愛盲時報第212号(日本盲人会連合・2007年1月1日発行)
- ^ “棋士の西本馨さん死去 視力に障害負いながら活躍”. 朝日新聞. (2012年1月15日). オリジナルの2012年1月15日時点におけるアーカイブ。 2012年1月15日閲覧。
- ^ “<訃報>西本馨七段が死去|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 2017年8月23日閲覧。
- ^ 関西の長老(asahi.com)2010年3月15日閲覧
- ^ a b 平成10年版「将棋年鑑」