豊田佐助
豊田 佐助︵とよだ さすけ、1882年︵明治15年︶4月22日[1] - 1962年︵昭和37年︶11月27日[2]︶は、日本の実業家。トヨタグループ創始者である兄豊田佐吉を助け、豊田紡織社長、豊田自動織機製作所監査役、豊田工機監査役等を務めた。
豊田佐助の墓(覚王山日泰寺)
静岡県出身。織物業を営むとともに[3]、兄豊田佐吉の豊田商店を助け、事業拡大に尽力した[4]。1918年の菊井紡織設立時には豊田佐吉、藤野亀之助、児玉一造らとともに出資を行い、専務取締役に就任した[5][6]。1926年に豊田自動織機製作所が設立されると村野時哉とともに監査役に就任[7]。1931年に菊井紡織が豊田紡織と合併すると、豊田紡織社長に就任[8]。1950年ユタカプレコン社長[9]。1952年豊田工機監査役[10]。
人物・経歴[編集]
親族[編集]
豊田自動織機創業者豊田佐吉や、トヨタ車体第2代社長豊田平吉は兄。トヨタ自動車初代社長豊田利三郎は義理の甥︵佐吉の娘婿︶[3]。アイシン精機社長豊田稔は長男[11]。INAX社長伊奈輝三は娘婿[12]。脚注[編集]
(一)^ ﹃人事興信録 第20版 下﹄︵人事興信所、1959年︶と47頁
(二)^ ﹃﹁現代物故者事典﹂総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)﹄日外アソシエーツ株式会社、2012年、855頁。
(三)^ ab﹁豐田佐助 (男性)﹂人事興信録データベース︵名古屋大学︶
(四)^ 第3項 名古屋進出トヨタ自動車
(五)^ 菊井紡織株式会社の設立トヨタ自動車
(六)^ 牧幸輝、﹁豊田利三郎と豊田業団﹂﹃経営史学﹄ 2011-2012年46巻2号 p.2_49-2_73, doi:10.5029/bhsj.46.2_49, 経営史学会
(七)^ 第1項 株式会社豊田自動織機製作所の設立トヨタ自動車
(八)^ ﹁豊田家紡織事業の経営史﹂山崎 広明︵Hiroaki YAMAZAKI︶ 東京大学 名誉教授
(九)^ ﹁沿革﹂
(十)^ ﹁豊田工機(株)﹃豊田工機二十年﹄(1961.05)﹂渋沢社史データベース
(11)^ トヨタ系幹部の豊田家御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係を強要…卑劣な手口ビジネス・ジャーナル、2015.11.27
(12)^ ﹁第二部 豊田家 ︽7︾ ﹂読売新聞2001年7月2日
関連項目[編集]
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