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里見義弘

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凡例

里見 義弘
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 享禄3年(1530年
異説大永5年(1525年
死没 天正6年5月20日1578年7月5日
別名 太郎(幼名)、義舜(初名)
戒名 瑞龍院殿在天高存居士
墓所 千葉県南房総市本織2014-1 延命寺
官位 称・左馬頭
称・関東副将軍
氏族 安房里見氏
父母 父:里見義堯、母:土岐為頼の娘
兄弟 義弘義頼(諸説あり)
正室青岳尼
継室足利晴氏の娘
義頼(諸説あり)、梅王丸(義重)正木義俊薦野頼俊
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里見 義弘(さとみ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての安房国大名安房里見氏の第6代当主。

経歴[編集]


31530



4156171564退

退101567

121569宿西51577[1]

61578

統治[編集]

義弘は落首を推奨し、民衆からの声を統治に反映させていた。『里見九代記』によると義弘が領内を見回っている際に

  • 福原の都人とは聞きつれど 年貢につけてしなのあしさよ

という落首を見つけ、これが福原信濃守の年貢徴収の不正を告発したものであると知り、福原に処分を下している。

関連作品[編集]

小説[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 細田大樹「天正三年の房越同盟の復活」『千葉史学』第70号(2017年)/所収:滝川恒昭 編著『旧国中世重要論文集成 安房国 上総国』戎光祥出版、2022年 ISBN 978-4-86403-378-7 、P101-105.