金子正明
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個人情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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フルネーム | かねこ まさあき | |||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ![]() | |||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 1940年7月8日(83歳) 栃木県足利市 | |||||||||||||||||||||||||||||
スポーツ | ||||||||||||||||||||||||||||||
競技 | レスリング | |||||||||||||||||||||||||||||
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金子 正明︵かねこ まさあき、1940年7月8日 - ︶は、栃木県足利市出身の元レスリング選手、元陸上自衛官1968年メキシコシティーオリンピックレスリング競技男子63kg級金メダリスト。
経歴[編集]
足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める[1]。専修大学卒業後、自衛隊に入隊、陸上自衛官として自衛隊体育学校に在籍。バンタム級で第18回夏季オリンピック東京大会︵1964年︶を目指すが、代表選考会の最終予選で上武洋次郎に敗れて出場を逃す[1]。 東京大会の後に階級をフェザー級に上げ、1968年第19回夏季オリンピックメキシコシティ大会に挑むことを決意、その当時には普及されていなかったウェイトトレーニングで体を作る。またその当時の日本レスリングの主流だった八田一朗︵日本アマチュアレスリング協会会長︶が提唱した攻撃重視スタイルにあえて背を向け、防御と巧みな試合運びで後半に勝負するという自己流カウンター型スタイルを確立、世界選手権を2連覇し、メキシコシティ大会では男子フリースタイルフェザー級において金メダルを獲得した[2][1]。メキシコ当時の金子は28歳で妻子持ちという異色の金メダリストでもあった[1]。結婚は1967年で、その披露宴はフジテレビジョンの番組﹁テレビ結婚式 ここに幸あれ﹂で放送された[3]。 現役引退後は陸上自衛隊に奉職、幹部に昇進。46歳の時に後輩自衛官の再就職相談のためにフジテレビジョンの鹿内春雄︵当時 会長︶と面会した際に、鹿内自らのスカウトを受ける形でフジテレビに転職、鹿内の秘書を務めた後、定年までフジテレビ警備部長を務めた[4][1]。 2007年に世界レスリング殿堂顕彰者に選出された[5]。 現在はビルメンテナンス会社に勤務している[1]。脚注[編集]
(一)^ abcdef“﹃五輪と私﹄﹁攻めろ﹂協会長方針に反発自分流 男子レスリングメキシコ﹁金﹂金子正明さん”. 読売新聞栃木版. 読売新聞社. (2013年11月24日). オリジナルの2017年2月23日時点におけるアーカイブ。 2017年2月23日閲覧。
(二)^ “レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手”. ︻SPAIA︼スパイア (2020年5月4日). 2020年11月14日閲覧。
(三)^ 松下茂典﹃円谷幸吉 命の手紙﹄文藝春秋、2019年、p.115
(四)^ ﹁メダルをとっただけで万事うまくいくほど、世の中は甘くない﹂日本人金メダリスト﹁全員﹂のその後︻中編︼ 週刊現代 2016-8-13
(五)^ 金子正明、浦野弥生の両氏がFILA殿堂入り 日本レスリング協会 2007年7月11日︵Internet Archives︶
外部リンク[編集]
- 金子正明 - Olympedia(英語)
- 金子正明 - International Wrestling Database (英語)
- 金子正明
- 金子正明-フェザー級の伝統守った遅咲きの大器