鈴木政江
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名前 | ||||||||||||||
カタカナ | スズキ マサエ | |||||||||||||
ラテン文字 | SUZUKI Masae | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1957年1月21日(67歳)[1] | |||||||||||||
出身地 |
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身長 | 162cm[2] | |||||||||||||
体重 | 51kg[2] | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | GK | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1977-1984 |
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1985-1986 |
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1987-1989 |
![]() | 9 | (0) | |||||||||||
1990-1991 |
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2002-2004 |
![]() | 9 | (0) | |||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
1984-1991 |
![]() | 45 | (0) | |||||||||||
監督歴 | ||||||||||||||
2000-2004 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2009年現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
鈴木 政江︵すずき まさえ、1957年1月21日 - ︶は、千葉県千葉市出身の元女子サッカー選手・元指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー 。日本女子サッカーのパイオニアの1人である。
来歴[編集]
三菱重工業に入社し、1977年に三菱重工女子サッカー部でサッカーを始め、1979年には第1回全日本女子サッカー選手権大会に出場。その後、FCジンナン︵後の日産FCレディース︶でプレーした。 1983年には全日本︵サッカー日本女子代表︶に初選出。1984年10月24日のイタリア戦︵西安︶に途中出場して代表デビューを果たす[3][4]と、1986年から1991年までは正GKを務め、第6・7・8回AFC女子アジア選手権、第11回アジア競技大会、国際女子サッカー大会︵プレワールドカップ︶、1991年世界選手権︵第1回女子W杯︶に出場した。また1986年から1989年にかけて国際Aマッチ27試合連続フル出場を果たしている[3][4]。 1989年には日産FCレディースが日本女子サッカーリーグ︵JLSL→L・リーグ/現・なでしこリーグ︶に加盟したが9試合の出場に留まり、翌1990年に地元で結成された日興證券女子サッカー部ドリームレディースに移籍。1991年には第12回全日本女子サッカー選手権大会での、チームの初出場初優勝という快挙に貢献した。 その年にチームがJLSLに加入し同シーズン︵第3回日本女子サッカーリーグ︶の敢闘賞を獲得したが、これを機に一旦はピッチを去ることになった。 2000年からL・リーグに参戦するジェフユナイテッド市原レディース︵現ジェフユナイテッド市原・千葉レディース︶に監督として就任。当初は専任監督であったが、チーム事情から2002年のシーズン︵第14回日本女子サッカーリーグ︶中に11年ぶりに選手登録し、日本女子サッカー初の選手兼任監督に就任。 2004年︵2004 日本女子サッカーリーグ︶6月13日の清水第八スポーツクラブ戦にて、L・リーグのピッチに復帰を果たし、リーグ最長ブランク記録および清水第八の杉山淳子の持つリーグ現役最年長出場記録を更新した。 2005年、監督を上村崇士に譲り、ジェフ千葉レディースのコーチ兼サテライト選手となった。2017年をもってコーチを退任[1]。個人成績[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | 日産FCレディース | 1 | JLSL | 9 | 0 | - | |||||
1990 | 日興證券ドリームレディース | 地域リーグ | - | ||||||||
1991 | 1 | JLSL | 11 | 0 | - | ||||||
(1992年から2001年まで選手登録なし) | |||||||||||
2002 | ジェフ市原レディース | 21 | L・リーグ | 0 | 0 | - | |||||
2003 | 0 | 0 | - | ||||||||
2004 | 9 | 0 | - | ||||||||
通算 | 日本 | 1部 | - | ||||||||
日本 | 地域 | - | |||||||||
総通算 | - |
タイトル[編集]
クラブ[編集]
個人[編集]
- 日本女子サッカーリーグ
- 敢闘賞: 1回 (1991)
代表歴[編集]
主な出場歴[編集]
- 1986 AFC女子選手権 (香港)
- 1988年国際女子サッカー大会 (プレワールドカップ:中華人民共和国・広州)
- 1989 AFC女子選手権 (香港)
- 1990年アジア競技大会 (中華人民共和国・北京)
- 1991 AFC女子選手権 (福岡)
- 1991 FIFA女子世界選手権 (中華人民共和国)
試合数[編集]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1984 | 1 | 0 |
1986 | 13 | 0 |
1987 | 4 | 0 |
1988 | 3 | 0 |
1989 | 9 | 0 |
1990 | 5 | 0 |
1991 | 10 | 0 |
通算 | 45 | 0 |
- 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[3]
資格[編集]
脚注[編集]
(一)^ abc﹃ジェフレディース監督、コーチ退任および新監督就任のお知らせ﹄︵プレスリリース︶ジェフユナイテッド市原・千葉レディース、2018年1月10日。2018年3月1日閲覧。
(二)^ ab“鈴木 政江 | 選手・スタッフ | 選手・試合情報 | ジェフユナイテッド千葉 公式ウェブサイト”. jefunited.co.jp. 2021年6月22日閲覧。
(三)^ abc“なでしこジャパン︵日本女子代表︶ 試合別出場記録” (PDF). 日本サッカー協会. 2018年2月28日閲覧。
(四)^ ab﹃JFAイヤーブック2011﹄日本サッカー協会、2012年、100頁。
外部リンク[編集]
日本女子代表 - 出場大会 |
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