錦座
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錦座 Nishikiza | |
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情報 | |
正式名称 | 錦座 |
完成 | 1916年 |
開館 | 1916年11月24日 |
開館公演 | 中村吉右衛門一座公演 |
閉館 | 1973年 |
収容人員 | 1,141人 |
用途 | 歌舞伎・演劇の公演、映画上映 |
所在地 |
青森県八戸町廿八日町35番地[1] (現:八戸市柏崎1丁目10-2、八戸第一生命ビルディングの位置) |
最寄駅 | 本八戸駅 |
錦座(にしきざ)は青森県旧八戸町にかつて存在した劇場である。
概要
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錦座は大正5年︵1916年︶11月24日、西村喜助により八戸町廿八日町に建設された。総工費は当時の金額で約2万円ほどであったとされる[2]
。ルネッサンス式の建物で開場時には地元紙に﹁東北一の規模をほこる大劇場﹂と報じられ、歌舞伎役者の公演などが行われていた。
開場式にあたってのこけら落としは中村吉右衛門一座により行われている。
大正13年︵1924年︶の八戸大火により焼失したが、大正15年︵1926年︶に3階建ての劇場に再建された。その後映画館としての役割が強くなり、昭和17年︵1942年︶に西村喜助が死去するまで存続した。その後建物は東宝映画館﹁八戸東宝劇場﹂[1]として活用され、昭和48年︵1973年︶に老朽化で取り壊されるまで存在した。
現在、跡地には八戸第一生命ビルが建っている。
沿革
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●1916年︵大正5年︶11月24日 - 錦座開業
●1917年︵大正6年︶4月 - 八戸水力電気 による﹁一万点灯祝賀会﹂開催に伴い、錦座のイルミネーションが行われる[3]。
●1923年︵大正12年︶9月18日 - 八戸初の新劇を上演︵武者小路実篤作﹁仏陀と孫悟空﹂ほか︶
●1924年︵大正13年︶5月21日 - 八戸大火により、建物が焼失
●1926年︵大正15年︶9月13日 - 錦座再建、落成
●1942年︵昭和17年︶ - 西村喜助が死去、建物は東宝映画館となる
●1953年︵昭和28年︶3月 - 館名を﹁八戸東宝劇場﹂に改称[1]
●1973年︵昭和48年︶ - 旧錦座の建物、老朽化のため取り壊し[注 1]
設備
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錦座の設備は以下の通り。︵八戸大火後の再建時︶
●観覧席 - 1階席と2階席に分かれる。半円形で周囲をガラス窓となっていた。特等席が3円、一等席が1円。貸座布団が5銭であった。
●売店 - 劇場1階に置かれていた。サイダー・林檎・餅・煎餅などを販売していた。
●食堂 - 劇場2階に喫茶室、3階に大食堂があった。
参考文献
[編集]- 『新編八戸市史 近現代資料編2』八戸市、2008
- 『錦座ものがたり 西村喜助夢一代記』滝尻善英、2009
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ その後八戸東宝劇場は八戸市吹上1丁目1-9に移動し、「八戸東宝劇場・スカラ座」の2スクリーン体制となった。1980年代後半頃に同市鷹匠小路2に所在していた「八戸東映劇場」が「テアトル八戸1・2・3」(中村文化興行運営[1])に名称統一されたことに伴い、スカラ座が八戸東映の名を引き継ぐも、テアトル八戸と同時期の2001年3月に閉館。2014年に建物は解体され駐車場となっている[1]。
出典
[編集]関連項目
[編集]- 八戸町
- 八戸大火
- 八戸水力電気会社軌道 - 計画では錦座前に路面電車の停留場が設置される予定であった。
外部リンク
[編集]- 八戸の先人「西村喜助」 - 八戸市公式サイト(2012年3月23日)