長町-利府線
長町-利府線︵ながまちりふせん︶は、宮城県の利府町から仙台市までのびる断層である。長町-利府断層︵ながまちりふだんそう︶ともいう[1]。総延長約17キロメートル[2]。
狭義の仙台平野︵あるいは広義の仙台平野のうち、仙台市を含む仙南平野︶の西の縁にあり、北東から南西に、仙台の市街地を横切る。その北西側が持ち上がる逆断層︵衝上断層︶である[2]。中新世と第四紀に活動が認められ、将来も動く可能性がある活断層である。大年寺断層など並行する断層をあわせて、長町-利府線断層帯としてまとめられる。
位置[編集]
北東端は松島丘陵の中、松島湾の近くである。南西端は仙台市南部の名取川左岸だが、川までは達しない[3]。線の南東側は、海岸まで続く低地である。 仙台市域では北西側が帯状に褶曲・隆起しており、宮城野褶曲線という[4]。断層自体は沖積層に埋もれていて地上に露頭はないが、榴ヶ岡と大年寺山の南東の麓を結ぶ線が仙台市域での長町-利府線の地上部延長である。これは、市街中心部が乗る河成段丘が、一段低い沖積平野と接する線でもある。断層は北西側へ斜めに潜り込んでいるので、地形上の線からやや北西が断層の直上にあたる。形成史[編集]
長町-利府線は、異なる時期に逆方向で動いたと考えられている。数百万年前、日本海拡大が終わる頃に引っ張りに対応する正断層として動き、数十万年前からは圧縮に対する逆断層になり、現在まで継続的に動いている。同様の反転は東北地方に例が多い[5]。中新世の活動[編集]
長町―利府線の北の部分、松島丘陵では、北西側が新しい中部中新統、南西側が古い下部中新統や三畳系で接している[4]。新生代第三紀の中新世初めに、北西側が低くなるような正断層として動いたと考えられる。第四紀の活動[編集]
次の活動は鮮新世より後、第四紀になってからである[6]。後述する変位量からの逆算では約45万年前と推定される[7]。このときは、北西側と南東側から圧縮がかけられ、過去と反対方向に、北西側がもち上がる衝上断層・逆断層として動いた。 仙台市には、古い順に青葉山丘陵、台ノ原段丘、上町段丘、中町段丘、下町段丘という河岸段丘が発達している。これら段丘の形成と同時進行で、長町-利府線にそってその北西側の地層が幅1km弱、長さ10kmにわたって隆起した。榴ヶ岡、大年寺山、緑が丘北半部、三神峯はこの隆起の産物である[8]。最大垂直変位量は82メートル以上と見積もられる。年平均では0.8mmである[9]。歴史的地震との関係[編集]
地層の観察からは、断層が動いた︵すなわちこの断層によって地震がおきた︶最新の時期は、紀元前380年から紀元前200年より後、と推定される[10]。 1736年に仙台で起きた地震について、この断層の活動の可能性が指摘される[11]。脚注[編集]
(一)^ 遅沢壮一﹁双葉断層の北方延長・活断層としての仙台の青葉東断層と、坪沼断層・長町-利府断層・久の浜-岩沼撓曲について﹂、31頁。
(二)^ ab﹃日本の地形﹄3、117頁。
(三)^ 遅沢壮一﹁双葉断層の北方延長・活断層としての仙台の青葉東断層と、坪沼断層・長町-利府断層・久の浜-岩沼撓曲について﹂、41頁。
(四)^ ab中田他﹁仙台平野西縁・長町-利府線に添う新期地殻変動﹂、111頁。
(五)^ ﹃日本の地形﹄3︵東北︶、18 - 19頁。
(六)^ 中田他﹁仙台平野西縁・長町―利府線に沿う新期地殻変動﹂、1117頁。
(七)^ 大槻他﹁東北地方南東部の第四紀地殻変動とブロックモデル﹂、5頁。
(八)^ 中田他﹁仙台平野西縁・長町-利府線に沿う新期地殻変動﹂、113頁。
(九)^ 中田他﹁仙台平野西縁・長町―利府線に沿う新期地殻変動﹂、116頁 Table 1。
(十)^ 栗田他﹁長町-利府線断層帯・岩切地区における最新活動時期の検討︵速報︶﹂、26頁。
(11)^ 中田他﹁仙台平野西縁・長町―利府線に沿う新期地殻変動﹂、118頁注7。