阿部成章
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引退 | |
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ポジション | ガード |
基本情報 | |
日本語 | 阿部成章 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1947年9月22日(76歳) |
出身地 | 山形県鶴岡市 |
身長(現役時) | 176cm (5 ft 9 in) |
キャリア情報 | |
出身 |
加茂水産高校 日本体育大学 |
選手経歴 | |
1969-1977 | 日本鉱業 |
獲得メダル | ||
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日本 | ||
バスケットボール | ||
アジア競技大会 | ||
銅 | 1970 バンコク | 男子 |
男子アジア選手権 | ||
金 | 1971 東京 |
阿部 成章︵あべ しげあき、1947年9月22日︵76歳︶ - ︶は、山形県鶴岡市出身の元バスケットボール選手である。山形県加茂水産高校、日本体育大学卒業。ポジションはガード。
来歴[編集]
加茂水産高校から日本体育大学を経て、日本鉱業に入社。 入社一年目の第4回日本リーグでは、MVPこそ日本鋼管の谷口正朋に譲ったが、ベスト5・新人王・得点王とタイトルを総なめした。その時に手が届かなかったMVPも日本鉱業の日本リーグ初優勝時︵第4回︶に獲得している。日本リーグのベスト5は第4回大会から第8回大会まで5年連続獲得している。 全日本としてミュンヘンとモントリオールの五輪2大会に出場[1]、モントリオールでは主将を務め、準決勝リーグのプエルトリコ戦で34点を叩き出した。これは現在でもバスケットボール男子日本代表のオリンピック最高得点である。 日本体育大学から実業団の強豪チームへ入社した第一号であり、これ以降日本体育大学の選手が実業団チーム入りするようになった。プレーヤーとして秀でていたことに加え、多くのプレーヤーの範となった。日本リーグの第一号外国人選手だったジェローム・フリーマン︵松下電器︶が、﹃月刊バスケットボール﹄のインタビューで﹁日本人選手で一番好きな選手は阿部さん﹂と発言している。 引退後はコーチ・ヘッドコーチなどを歴任。 ポジションについては﹁ガード﹂という記述もあるが、単にガードというよりは、NBAでいうピート・マラビッチ的な選手であり、現在ではコンボガードあるいはスウィングマンにあたる。当時所属の日本鉱業でも﹁ガード﹂という枠では使っていない。脚註[編集]
- ^ “男子日本代表オリンピック全戦績”. 2015年3月25日閲覧。