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通算成績(騎手時代・日本競馬会時代の成績を含む)[編集]
1着 |
2着 |
3着 |
4着以下 |
騎乗回数 |
勝率 |
連対率
|
431 |
377 |
330 |
1,231 |
2,360 |
.183 |
.342
|
重賞勝利[編集]
通算成績(調教師時代)[編集]
1着 |
2着 |
3着 |
4着以下 |
出走回数 |
勝率 |
連対率
|
589 |
486 |
450 |
2,518 |
4,043 |
.146 |
.266
|
代表管理馬[編集]
●カネチカラ︵金杯︵東︶、ダイヤモンドステークス︵1960年︶︶
●クニハヤ︵中山大障害︵春︶︵1961年︶︶
●アサリュウ︵目黒記念︵春︶︵1963年︶︶
●メジロマンゲツ︵京成杯︵1965年︶︶
●パラデイン︵愛知杯 ︵1966年︶︶
●グローブターフ︵愛知杯︵1969年︶︶
●ハセタカラ︵中山大障害︵春︵1970年︶︶
●マスミノル︵東京新聞杯︵1970年︶︶
●ベルワイド︵セントライト記念︵1971年︶、天皇賞︵春︶︵1972年︶、目黒記念︵秋︶︵1973年︶︶
●ダッシュリュー︵福島記念︵1971年︶︶
●マスヒロ︵中山大障害︵秋︶︵1972年︶︶
●クリユタカ︵中山大障害︵秋︶︵1973年︶︶
●トウショウロック︵ステイヤーズステークス︵1975年︶、ダイヤモンドステークス︵1977年︶︶
●ソーウンムサシ︵函館3歳ステークス︵1976年︶︶
主な厩舎所属者[編集]
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
●新関力︵1958年 - 1959年 騎手︶
●加賀武見︵1960年 - 1970年、1970年 - 1978年 騎手︶
●矢野照正︵1962年 - 1974年 騎手︶
●関口健太郎︵1963年 - 1975年 騎手︶
●法理弘︵1964年 - 1978年 騎手︶
●阿部新生︵1967年 - 1977年 調教助手︶
●成島英春︵1970年 騎手︶
●成島正規︵1971年 - 1978年 騎手︶
エピソード[編集]
阿部の子供の名付け親は、当時田中厩舎に出入りしていた作家であった。長女︵加賀の妻︶と長男︵阿部新生調教師︶は菊池が名付け親で、次男は吉川が命名したと言う。
(一)^ 当日、競馬を観戦していた、時の農林大臣・河野一郎が阿部が再起不能という話を聞き、競馬会の上層部に対してすぐに調教師の免許を与える様に進言したという。
(二)^ 吉川は、落馬事故を目の当たりにして責任を感じ、持ち馬を全て処分の上、馬主から引退した。
参考文献[編集]
- 「日本調教師・騎手名鑑 1961年版」(日本調教師・騎手名鑑刊行会、井上康文、1961年)
- 「中央競馬レコードブック 1982年版」(中央競馬ピーアール・センター編、1982年)
- 「中央競馬名鑑 (各年度版)」(日本中央競馬会)