阿部武雄
阿部 武雄︵あべ たけお、1902年︵明治35年︶1月4日 - 1968年︵昭和43年︶2月5日︶は、日本の作曲家。
経歴[編集]
山形県鶴岡市湯野浜に旅役者の息子として誕生するも、生後間もなく両親は離別、再婚した母に伴われて横須賀に居を移したが母が病死したので、祖父母と石巻に転住。まだ小学生という頑是無い子供であるのに、町役場の給仕として働き生活の辛酸を舐めていた[1]。 苦学の末、東洋音楽学校に入学。卒業後、神戸オリエントホテルのバンドマンとして就職。10年程、楽士として各地を転々とする。 1933年︵昭和8年︶、作詞家藤田まさとの紹介でポリドールに入社し、専属作曲家となる。1934年︵昭和9年︶、東海林太郎の歌う﹁国境の町﹂、1935年︵昭和10年︶﹁むらさき小唄﹂が大ヒット。上原敏の大ヒット曲﹁流転﹂、﹁裏町人生﹂、﹁鴛鴦道中﹂なども手がける。その後も、ポリドールの黄金期を支える作曲家として活躍。 1968年︵昭和43年︶2月5日死去。享年66。故郷の鶴岡市には阿部武雄顕彰碑がある。2012年︵平成24年︶、﹃流浪の作曲家 阿部武雄﹄︵菊池清麿・著︶が地元の老舗出版社東北出版企画より上梓された。代表曲[編集]
- 『国境の町』(昭和9年12月)[大木惇夫作詞、歌:東海林太郎]
- 『母を捧ぐる歌』(昭和10年2月)[サトウハチロー作詞、歌:東海林太郎]
- 『むらさき小唄』(昭和10年5月)[佐藤惣之助作詞、歌:東海林太郎]
- 『丹下左善の唄』(昭和10年7月)[藤田まさと作詞、歌:東海林太郎]
- 『お柳恋しや』(昭和11年1月)[佐藤惣之助作詞、歌:東海林太郎]
- 『江戸前みやげ子守歌』(昭和11年3月)[時雨音羽作詞、歌:高田浩吉]
- 『吉さま人形』(昭和11年5月)[土方喬作詞、歌:東海林太郎]
- 『妻恋道中』(昭和12年4月)[藤田まさと作詞、歌:上原敏]
- 『蛇の目のかげで』(昭和12年5月)[並木せんざ作詞、歌:日本橋きみ栄]
- 『流転』(昭和12年7月)[藤田まさと作詞、歌:上原敏]
- 『裏町人生』(昭和12年8月)[島田磬也作詞、歌:上原敏、結城道子]
- 『鴛鴦道中』(昭和13年1月)[藤田まさと作詞、歌:上原敏、青葉笙子]
- 『徳利の別れ』(昭和13年5月)[野村俊夫作詞、歌:上原敏]
- 『関の弥太っぺ』(昭和13年6月)[藤田まさと作詞、歌:高田浩吉]
脚注[編集]
- ^ “郷土の先人・先覚19 《阿部 武雄》”. 荘内日報社 2020年1月8日閲覧。