島田磬也
島田 磬也︵しまだ きんや、1909年6月30日 - 1978年11月20日︶は、日本の作詞家である。戦前期、テイチクレコードでの作曲家・大久保徳二郎、歌手・ディック・ミネとのトリオは、ヒット・メイキング・チームであった。
来歴・人物[編集]
1909年︵明治42年︶6月30日、熊本県熊本市に生まれる。18歳のとき上京し作詞家・詩人の西條八十の門下に入る。同じく作詞家のサトウ・ハチローとは兄弟弟子にあたる。 1934年︵昭和9年︶、﹁主婦の友﹂連載小説﹁地上の星座﹂主題歌募集に一等当選。師である西条八十と共に作詞した﹁川原鳩なら﹂︵歌‥藤山一郎︶で作詞家デビュー。 1937年︵昭和12年︶、上原敏歌唱の﹃裏町人生﹄は大ヒットとなる。 大久保徳二郎、ディック・ミネと組んだ楽曲で一世を風靡した。尚、ミネが1953年に島田の作詞曲﹃長崎エレジー﹄を第4回NHK紅白歌合戦にて歌唱している。 映画においては、1939年︵昭和14年︶12月14日に公開された日活京都撮影所作品、オペレッタ時代劇の﹃鴛鴦歌合戦﹄の構成と作詞を、作曲の大久保徳二郎とともに担当した[1]。 戦後も石原裕次郎が島田が作詞したミネの楽曲をカヴァーし、ふたたびヒットする。また1959年︵昭和34年︶に村田英雄がリリースした﹃黒田武士﹄︵作曲者不詳︶の作詞をするなどして活躍。戦中戦後を通じてのヒットメーカーのひとりだった。 1966年︵昭和41年︶、﹃孤情の詩旗﹄︵南北出版サービスセンター︶を上梓する。 晩年は若い頃より趣味としていた詩吟の普及・指導にも努めた。 1978年︵昭和53年︶11月20日に死去。69歳没。ディスコグラフィ[編集]
- 藤山一郎『川原鳩なら』、共同作詞西條八十、作曲佐々木俊一、1934年 ※松竹映画『地上の星座』主題歌
- ディック・ミネ『望郷の唄』、作曲古賀政男、1935年
- 楠木繁夫『女の階級』、作曲古賀政男、1936年(村瀬まゆみ名義)
- 楠木繁夫『啄木の歌』、作曲古賀政男、1938年
- 上原敏『裏町人生』、作曲阿部武雄、1937年
- 東海林太郎『湖底の故郷』、作曲鈴木武男、1937年
- 藤山一郎、鈴木吟亮『白虎隊』、作曲古賀政男、1937年
- 東海林太郎、上原敏『泣き笑いの人生』、作曲飯田景応、1938年
- 上原敏『波止場気質』、作曲飯田景応、1938年
- 東海林太郎『人生航海』、作曲飯田景応、1938年
- 美空ひばり、鶴田浩二『軍国の母』、作曲古賀政男、1938年
- ディック・ミネ『或る雨の午後』、作曲大久保徳二郎、1939年
- ディック・ミネ、藤原千多歌『長崎エレジー』、作曲大久保徳二郎、1947年
- ディック・ミネ『夜霧のブルース』、作曲大久保徳二郎、1947年
- 田端義夫『嘆きのピエロ』、作曲大久保徳二郎、1947年
- 村田英雄『黒田武士』、作曲不詳、1959年
フィルモグラフィ[編集]
ビブリオグラフィ[編集]
- 『孤情の詩旗』、南北出版サービスセンター、1966年
- 『裏町人生』、創林社、1978年
註[編集]
- ^ Wikipedia「鴛鴦歌合戦」の項、および日本映画データベースの「鴛鴦歌合戦」の項の記述を参照。