雨宮育作
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雨宮 育作︵あめみや/あまみや いくさく、1889年︵明治22年︶11月5日 - 1984年︵昭和59年︶2月14日︶は、日本の水産学者である[1][2]。長兄は山梨英和女学校︵現山梨英和学院︶校長・理事長を務めた雨宮敬作。次兄は海軍兵学校第33期で,戦艦霧島・戦艦日向の砲術長等を務め,海軍大佐を務めた雨宮厚作。敬作の上に,長姉﹁くま﹂,次姉﹁と美﹂, 三姉﹁まさじ﹂の三姉。
経歴・人物[編集]
山梨県東山梨郡日下部村(現山梨市)に,父﹁景通﹂母﹁じつ﹂の三男として生まれる[2][3]。東京帝国大学農科大学︵現在の東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部︶に入学し[2]、1914年︵大正3年︶に卒業。1919年︵大正8年︶同大学大学院修了。1920年︵大正9年︶同大学農学部水産学科助教授[2]。その後イギリスおよびドイツに留学し[1][2]、帰国後の1929年︵昭和4年︶に教授に昇任し,教鞭を執る傍ら海洋生物の研究に携わった[2][3]。農学博士[3]。 東京大学在任中に東北大学教授を兼任し同大学農学研究所長を務め,東北大学農学部等の創設にも携わる[2]。1950年︵昭和25年︶に定年により退官。東京大学名誉教授の称号を授与される。東京大学定年退官後は[2]、名古屋大学教授となって同大学農学部の創設にも携わり同学部長も務めた[1][2]。その後は日本大学教授や三井海洋研究所の所長[3]、江の島水族館︵旧江の島水族館。現在は閉館︶の初代館長[3]、日本水産学会の会長等を歴任し[1],日本学士院会員ともなった[2]。カキの性転換やイワシの群れやその資源に関する研究に携わったほか[1][2]、大学院学生時代には山中湖や河口湖等の富士五湖を調査し霞ヶ浦に生息するワカサギの卵を同地に移植したことでも知られる[2][3]。没後は多磨霊園に葬られた。著書[編集]
- 『日本水産学』