霊屋橋
霊屋橋︵おたまやばし︶は、名取川の支流広瀬川にかかる橋で、市道霊屋下米ヶ袋線を通す。宮城県仙台市青葉区の霊屋下︵おたまやした︶と米ヶ袋︵こめがふくろ︶を結ぶ。長さ60.6メートル、幅10.1メートル。
白い和風の装飾のコンクリート橋である。このあたりの広瀬川は北から南に流れ、幅が狭いが、かわりに底が広瀬川の中でもっとも深く、源兵衛淵という。東の岸は垂直の崖、西が砂岸である。
霊屋橋のそばにある瑞鳳殿は、仙台市の観光地の1つであるが、道路事情はあまりよくない。市の中心部からは、広瀬川を越えたところにあるため、評定河原橋か霊屋橋のどちらかを通らなければならないが、どちらの橋も接続する2車線の道が細い。
歴史[編集]
﹁おたまや﹂は本来は御霊屋だが[1]、読みはそのままで御の字が脱落して定着した。ここでは伊達家代々の霊廟がある瑞鳳殿のことをいう[2]。 明治初年に丸太の柱の列の上に板を渡した橋が作られ、﹁米ヶ袋渡し﹂、またその料金から﹁三文渡し﹂と呼ばれた。1909年︵明治42年︶、約100メートル川下に長さ約100メートルで木製の越路橋が架けられたが、翌年流された[3]。 1915年︵大正4年︶8月に霊屋橋と名を改めた[4]。1916年︵大正5年︶に木の吊り橋がかけられた。1935年︵昭和10年︶に現在あるコンクリート製の橋に架け替えられた。長さ65.2メートル、幅8.3メートルあった。現在は長さ60.6メートル、幅10.1メートルとされている[5]。-
西岸、南から(2003年11月)
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東岸から霊屋下を望む(2007年9月)
脚注[編集]
参考文献[編集]
●作者不明﹃仙台鹿の子﹄、元禄8年︵1695年︶頃。仙台市史編纂委員会﹃仙台市史﹄第8巻︵資料篇1︶、仙台市役所、1953年に所収。
●作者不明﹃残月台本荒萩﹄、安永7年︵1778年︶頃。鈴木省三・編﹃仙台叢書﹄第1巻、仙台叢書刊行会、1922年に所収。
●﹃河北新報﹄1965年6月8日付、連載記事﹁橋﹂の﹁霊屋橋﹂。
●菊地勝之助﹃修正増補仙台地名考﹄、宝文堂、1971年。
●関根一郎﹃仙台・川と橋の物語﹄、創栄出版、1991年、ISBN 4-7952-5301-3。
●仙台市史編纂委員会﹃仙台市史﹄第1巻︵行政建設編︶、仙台市、1969年。
●宮城県歴史教育研究会編﹃新版 宮城県歴史散歩﹄︵新全国歴史散歩シリーズ︶、山川出版社、1984年、ISBN 4-634-29040-5。