須和田
表示
須和田 | |
---|---|
北緯35度44分18.85秒 東経139度54分54.92秒 / 北緯35.7385694度 東経139.9152556度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 市川市 |
人口 | |
• 合計 | 5,101人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
272-0825[2] |
市外局番 | 047[3] |
ナンバープレート | 市川 |
須和田︵すわだ︶は千葉県市川市の地名。現行行政地名は須和田一丁目及び須和田二丁目。郵便番号は272-0825[2]。
地理[編集]
市川市北部に位置する。地内は主に住宅地として利用される。一丁目には東京外環自動車道が通る。 一丁目に市川須和田郵便局、二丁目に市立第二中学校、市川市立須和田の丘支援学校、須和田公園がある。 東は東菅野・宮久保、西は真間、南は菅野、北は国分・東国分と接している。歴史[編集]
かつて中国の文学者で政治家でもあった、歴史学者の郭沫若が、1928年から日中戦争勃発の1937年まで居住していた。その住宅は、真間に移築され市川市郭沫若記念館となっている。沿革[編集]
●1869年︵明治2年︶ - 葛飾県葛飾郡須和田村となる。 ●1871年︵明治4年︶ - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡須和田村となる。 ●1873年︵明治6年︶ - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡須和田村となる。 ●1889年︵明治22年︶ - 東葛飾郡国分村、曽谷村、下貝塚村、稲越村と合併し、東葛飾郡五常村大字須和田となる。 ●1890年︵明治23年︶5月23日 - 五常村が国分村に村名を変更。東葛飾郡国分村大字須和田となる。 ●1934年︵昭和9年︶11月3日 - 市川町、八幡町、中山町と合併、市制施行。市川市大字須和田となる。 ●1951年︵昭和26年︶12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市須和田町となる。 ●1966年︵昭和41年︶4月1日 - 住居表示施行。市川市須和田一丁目・二丁目となる。地名の由来[編集]
湿地帯で湿田のある所を﹁スワ﹂と呼び、そのことから﹁諏訪田﹂と呼ばれた。それが後に﹁須和田﹂となったもの。世帯数と人口[編集]
2017年︵平成29年︶9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
須和田一丁目 | 1,362世帯 | 2,888人 |
須和田二丁目 | 1,004世帯 | 2,213人 |
計 | 2,366世帯 | 5,101人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
須和田一丁目 | 全域 | 市川市立菅野小学校 | 市川市立第二中学校 |
須和田二丁目 | 1~6番 19~25番 | ||
7~18番 26~36番 |
市川市立真間小学校 |
施設[編集]
- まきば保育園
- 須和田幼稚園
- 市川市立第二中学校
- 市川市立須和田の丘支援学校
- 須和田公園
- 市川須和田郵便局