飛鳥賢次郎
飛鳥 賢次郎︵あすか けんじろう、1849年︵嘉永2年︶ - 1889年︵明治22年︶1月28日︶は、日本メソジスト教会の牧師である。
1849年、石見国に生まれる。1867年︵慶応3年︶に土佐国の禅寺に入り、翌年長崎の寺に移る。明治維新後、仏教を棄教する。
1874年︵明治7年︶J・C・デヴィソンの日本語教師として、アメリカ・メソジスト監督教会より雇われて、1879年まで5年間働く。この時教材として用いた和訳福音書に興味を関心を持ち、キリスト教信仰を持つ。1876年︵明治9年︶4月16日、デヴィソンの日本最初の受洗者として出島教会(長崎銀屋町教会)で洗礼を受ける。
1881年︵明治14年︶8月28日、鹿児島教会︵鹿児島加治屋町教会︶の設立に貢献する。その年、1881年にトーマス・ボウマン(Thomas bowman)監督から執事の按手礼を受け、二年後の1883年︵明治16年︶S・M・メリル(Stephen Mason Merill)から長老の按手礼を受ける。
1883年、C・S・ロング宣教師と共に、熊本を訪れる。その後、長崎に戻り、家族と共に熊本に移住し、熊本でその年の12月23日に伝道を始める。1884年︵明治17年︶熊本教会︵現、日本基督教団熊本白川教会︶を設立し、1886年︵明治19年︶に福岡教会︵福岡中部教会︶に転任する。
1887年︵明治20年︶福岡英和女学校︵現・福岡女学院︶の校舎を新築し、1888年︵明治21年︶に福岡教会の教会堂を新築する。
1889年︵明治22年︶1月28日に祈祷会中に倒れ、死去する。博多の東公園墓地に葬られた。