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高坂 元己︵こうさか もとみ、1956年8月22日[1] - )は、新潟放送元アナウンサー。現在、新潟市北区文化会館館長。NPO法人新潟ジャズストリート実行委員会 理事長
●1982年4月 ㈱新潟放送に入社︵ラジオ局制作部︶
●1991年4月 報道制作局アナウンス部︵~2004年︶
●2005年7月 編成局テレビCM部長
●2006年4月 テレビ営業局業務部長
●2009年7月 営業局次長・業務部長
●2011年4月 報道制作局次長・情報センター次長・ラジオ制作担当部長
●2012年4月 上越支社支社長・総務部長・営業部長・編成業務部長
●2015年6月 取締役ラジオ本部長・情報センター総括
●2017年6月 退職
●2017年6月 ㈱BSNウェーブ取締役
●2019年6月 退職
●2020年4月 新潟市北区文化会館館長
●入社しラジオ局制作部に配属後、社内で﹁チャーリー﹂というニックネームを頂戴し、チャーリー高坂として同年秋、初のレギュラー番組﹃チャーリー高坂のネクラでバンザイ﹄でパーソナリティとして本格的にデビュー。1年先輩の鍵冨徹とコンビを組み、パロディCMやパロディニュース、さらには下ネタなども織り交ぜた内容で、しばしば上司から大目玉を食らうこともあったという[1]。
●翌1983年には平日夜間に進出、帯の10分枠﹃チャーリー高坂の今夜もゼッチョー﹄のパーソナリティを担当、オープニングではテーマ曲に合わせて高坂が喘ぎ声を上げ、﹁人気もゼッチョー、アッチもゼッチョー!ネクラ人間かなぐり捨てて、全国ゼッチョーの渦に巻き込む!BSNラジオの︵この間に即興のキャッチコピーが挿入される︶チャーリー高坂が、あなたに贈るアノ瞬間!ワァオ!!﹂というお決まりの口上を披露していた。また地方民間放送共同制作協議会︵火曜会︶主催の﹃飛び出せ!全国DJ諸君﹄では1982年、1983年と2年連続で優秀賞を受賞した。
●自分の担当番組で県内のラーメンを食べ歩くコーナーを持っていたほどのラーメンマニアという一面も持つ。高坂自身が生まれつきそばアレルギーに悩まされており、その反動からラーメンに興味を抱いたのがきっかけである[3]。
受賞歴[編集]
●1988年10月 日本民間放送連盟 連盟賞ラジオ報道部門優秀賞﹁脳死﹂制作
●1991年8月 JNN・JRNアノンシスト賞ラジオCM部門最優秀賞﹁石油ファンヒーター﹂︵民放最大ネットワークのアナウンス・コンテスト︶
●1998年10月 日本民間放送連盟 連盟賞ラジオ報道部門最優秀賞﹁苦渋の選択 新潟水俣病 そして・・・﹂ナレーション
過去の出演(制作)番組[編集]
テレビ
●新潟発そこが知りたい
●BSNニュースワイド︵1991年10月-1998年6月︶キャスター
ラジオ
●チャーリー高坂のネクラでバンザイ︵1982年4月-1983年3月︶[1]
●チャーリー高坂の今夜もゼッチョー︵1983年4月-?︶
●Oh!演歌
●電リクネットワーク
●ミュージックポスト金曜日
●Swing Street︵ローカル局としては珍しいジャズ専門番組︶
●ライブリポート445
●トワイライトジョッキー[1]
●ザ・スウィング創世児[1]
●アデランス歌謡教室
●カムバック!昭和歌謡
●あなたと夜と音楽と︵ジャズ︶
●クラシックの森
●とどかなかった夢舞台~村上幸子を偲んで~︵2022年7月17日放送︶1990年7月23日に亡くなった村上幸子の33回忌に際し、高坂が番組制作を企画提案。自身が取材、インタビュー、台本を担当した。また、村上と仕事を重ね、彼女を良く知る元BSNアナウンサー、河内潤一がナレーションを担った。高坂によれば、村上幸子の生涯と歌を放送歴史の一ページに残すことができたと語っている。
関連人物[編集]
以下の人物は同郷かつ同じ大学の学科の出身者である。
外部リンク[編集]