高木藤太郎
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高木 藤太郎︵たかぎ とうたろう、1870年5月16日︵明治3年4月16日︶[1] - 1945年︵昭和20年︶3月4日[2]︶は、日本の地主・家主[1][3]、資産家[4]。
人物[編集]
愛知県海部郡津島町︵現・津島市︶出身。野口米次郎の兄[2][5]。高木益喜の養子となる[1][3]。1893年、慶應義塾別科を卒業する[6][7]。商業人であったが、和歌、和文、書道が堪能だった[2]。また地家主で[1][3]、貸地貸家業[8]を営む。 宗教は真宗[1][3][4]。趣味は和歌、漢詩[1][3][4]。住所は東京市日本橋区大伝馬塩町[8][9]・同区本町4丁目[7]、京橋区京橋1丁目[1][3]・同区大鋸町[4]。家族・親族[編集]
高木家 ●養父・益喜[1][9] ●義兄・益太郎︵1869年 - 1929年、弁護士[9]、衆議院議員、法律新聞社長︶ ●妻[1] ●養子・悦郎︵1890年[10] - ?、弁護士︶ - 東京府・荒井富五郎の二男[10][11]。高木藤太郎の養子となる[10]。1916年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業する[10]。日本興業銀行、安田銀行に勤務し、後に弁護士を開業する[11]。宗教は禅宗[10][11]。趣味は運動、旅行[10][11]。住所は東京市渋谷区千駄ヶ谷5丁目[10]。事務所は日本橋区本町4丁目[10][11]。 ●同妻︵高木藤太郎の長女︶[11] ●同長男[11] ●同二男[11] ●同長女[11] ●孫[1] 親戚 ●母の兄・釈大俊︵僧侶︶[12] ●実弟・野口米次郎︵英詩人︶[5] ●佐久間定吉︵鮮魚商、地家主︶著書[編集]
●﹃雲井竜雄と釈大俊﹄高木藤太郎、1930年。 ●﹃佐夜中山追憶﹄高木藤太郎、1937年。 ●﹃雲井竜雄墓碑考﹄高木藤太郎、1939年。脚注[編集]
(一)^ abcdefghij﹃大衆人事録 第5版﹄タ75頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(二)^ abc﹃ヨネ・ノグチ研究 論文集﹄316 - 322頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(三)^ abcdef﹃日本人事名鑑 昭和9年版 下卷﹄タ63頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(四)^ abcd﹃大衆人事録 第3版﹄タ66頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(五)^ ab﹃現今日本名家列伝﹄470 - 471頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(六)^ ﹃慶応義塾総覧 大正11年﹄第二十二章 卒業生217頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(七)^ ab﹃慶応義塾塾員名簿 昭和17年版﹄た243頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(八)^ ab﹃日本信用録 第3版﹄タ175頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(九)^ abc﹃日本紳士録 第8版﹄東京た272 - 273頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(十)^ abcdefgh﹃帝国大学大観﹄351頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(11)^ abcdefghi﹃大衆人事録 第10版﹄タ71頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
(12)^ ﹃雲荘随筆﹄23頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2024年2月13日閲覧。
参考文献[編集]
- 『日本紳士録 第8版』交詢社、1902年。
- 『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、1911年。
- 『日本信用録 第3版』東京商業興信所、1911年。
- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 大正11年』慶応義塾、1917 - 1922年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社ほか、1930年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社ほか、1932年。
- 入沢達吉『雲荘随筆』大畑書店、1933年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第10版』帝国秘密探偵社ほか、1934年。
- 聯合通信社編『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』聯合通信社、1934年。
- 帝国大学学友会編『帝国大学大観』帝国大学学友会、1939年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1942年。