天満宮 (横浜市港北区)
(高田天満宮から転送)
天満宮 | |
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所在地 | 神奈川県横浜市港北区高田西3-25-1 |
主祭神 | 菅丞相霊[1](菅原道真) |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 1325年(正中2年) |
本殿の様式 | 権現造[2] |
別名 | 高田天満宮 |
例祭 | 10月25日 |
天満宮︵てんまんぐう︶は神奈川県横浜市港北区にある神社。旧都筑郡高田村の総鎮守で[3]、一般には高田天満宮の通称で知られる。旧社格は村社。
祭神[編集]
●菅丞相霊[1]︵菅原道真︶由緒・歴史[編集]
鎌倉時代末期の1325年︵正中2年︶に創建したと伝えられ、2025年に創建700年を迎える。 社伝によれば、正中2年5月25日、当地の申酉(西北西)の方角から光物が現れてしきりに震動し、夜になっても周辺を昼のように明るく照らした。ようやく当地の山中に鎮まったが、昼夜電光が乱れ飛び、人々は近づくことができなかった。 この時、小蛇が梅の木の下に現れて異香を放ち、正しく観世音菩薩が天神として垂迹したものと思われた。興禅寺︵港北区高田町1799︶の弁殊法印は﹁これこそ衆生済度の方便、大慈大悲の誓いなり﹂と感じ、先達となって榊の枝を小蛇の前に置くと、小蛇は榊の枝の上に留まった。 領主の桃井播磨守直常は、これを近くで見聞きして信心止みがたく、社殿を建立して当地一帯の氏神としたという[1] [2]。 江戸時代の文化・文政期︵1804年〜1829年︶に編纂された﹃新編武蔵風土記稿﹄には﹁除地三段。村内興禅寺のつづき南の方にあり。上屋は三間四方、内に小社を置く。拝殿三間に二間、南に向ふ。神体は新旧の二躯を安ず。共に長一尺許り。石の鳥居を立つ。村の惣鎮守にして例祭年々九月二十五日なり﹂[3]とある。 現在の社殿は江戸時代の初期に領主の旗本・曾根氏が造営したもので、幾度かの大規模な改修を重ねている。元は茅葺きであったが[4]、第二次大戦後に瓦に替え[2]、現在のような姿となった。境内社[編集]
●稲荷神社[2] ●弁財天社[2]祭事・年中行事[編集]
●例大祭‥10月25日所在地・交通[編集]
神奈川県横浜市港北区高田西3-25-1- 横浜市営地下鉄グリーンライン「高田駅」より徒歩5分