風土記
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風土記︵ふどき︶とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことを指すが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書をさす[1]。正式名称ではなく、ほかの風土記と区別して﹁古風土記﹂ともいう。律令制度の各国別で記されたと考えられ、幾つかが写本として残されている。
古風土記[編集]
奈良時代初期の官撰の地誌。元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂し、主に漢文体で書かれた。律令制度を整備し、全国を統一した朝廷は、各国の事情を知る必要があったため、風土記を編纂させ、地方統治の指針とした[2]。
﹃続日本紀﹄の和銅6年5月甲子︵ユリウス暦713年5月30日、先発グレゴリオ暦6月3日︶の条が風土記編纂の官命であると見られている。ただし、この時点では風土記という名称は用いられておらず、律令制において下級の官司から上級の官司宛に提出される正式な公文書を意味する﹁解﹂︵げ︶と呼ばれていたようである[2]。なお、記すべき内容として下記の五つが挙げられている[3]。
(一)国郡郷の名︵好字を用いて︶
(二)産物
(三)土地の肥沃の状態
(四)地名の起源
(五)伝えられている旧聞異事
現存するものは全て写本で、﹃出雲国風土記﹄がほぼ完本、﹃播磨国風土記﹄、﹃肥前国風土記﹄、﹃常陸国風土記﹄、﹃豊後国風土記﹄が一部欠損した状態で残る[4]。その他の国の風土記も存在したと考えられているが、現在は後世の書物に逸文として引用されるのみである。ただし、逸文とされるものの中にも、本当にオリジナルの風土記の記述であるか疑問が持たれているものも存在する。
各国の風土記[編集]
- 太字は写本として現存するもの。
- ※は逸文として他の書物に残っているもの。
- 無印は逸文であるか疑わしいものしか残っていないか、未発見のもの。
畿内[編集]
東海道[編集]
東山道[編集]
北陸道[編集]
- 若狭国風土記
- 越前国風土記
- 越後国風土記※
- 佐渡国風土記
山陰道[編集]
山陽道[編集]
南海道[編集]
西海道[編集]
中国の風土記[編集]
中国の書籍の名。晋の平西将軍の周処による﹃周処風土記﹄に始まり、盧植による﹃冀州風土記﹄、沈瑩による﹃臨海風土記﹄、陸恭之によるとされる風土記、﹃後魏風土記﹄などがあったといわれるが、存在が確認できるわけではない。辺境生活の見聞をまとめたものであろうといわれるが、詳細は不明。
古風土記以外の風土記[編集]
﹃遠江國風土記傳﹄、﹃三河後風土記﹄、﹃東北後風土記﹄、﹃斐太後風土記﹄、﹃新編武蔵風土記﹄、﹃新編相模風土記﹄、﹃新編会津風土記﹄、﹃佐倉風土記﹄、﹃今日の風土記﹄等が挙げられる。注解刊行[編集]
- 武田祐吉編『風土記』岩波書店〈岩波文庫〉1937年4月
- 土橋寛・小西甚一校注『古代歌謡集』岩波書店〈日本古典文学大系3〉1957.7
- 秋本吉郎校注『風土記』岩波書店〈日本古典文学大系2〉1958年4月、新装版1993年10月
- 加藤義成『校注出雲国風土記』千鳥書房、1965年12月
- 有馬徳『常陸国風土記註釈』太平洋出版、1973年2月
- 曽倉岑・金井清一『古事記 ; 風土記 ; 日本霊異記』尚学図書〈鑑賞日本の古典1〉1981年9月
- 田中卓校注『風土記』神道大系編纂会〈神道大系 古典編7〉1994年3月
- 植垣節也校注・訳『風土記』小学館〈新編日本古典文学全集5〉1997年10月
- 上代文献を読む会編『風土記逸文注釈』翰林書房、2001年2月
- 松本直樹注釈『出雲国風土記注釈』新典社〈新典社注釈叢書13〉2007年11月
- 橋本雅之編『風土記』KADOKAWA〈角川文庫〉2021年11月