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●境内中央には樹齢500年前後の老松がある。根廻り3m20cm、高さ10m程度であり﹁臥龍の松﹂と呼ばれている。
●境内入口には2本の緋寒桜があり、1本は根廻り2m30cm、高さ16m程度で、もう1本は根廻り1m30cm、高さ12m程度である。
●西側には聖徳太子を祭る石造の祠があり﹁筆塚﹂と呼ばれている。
●福蔵稲荷も祭られ、奉納版木には文政8年(1825年)十七世の法蓮社教誉により造立、豊川稲荷を神体として勧請したと記されている。年に1度、祈願祭が催される。
●玉依姫や、恵那新四国八十八ヶ所四十番の弘法大師像を祀る。
●文化14年(1817年)の徳本上人による南無阿弥陀佛の名号碑がある。
●蚕農講を設立した塚田彌左衛門の顕彰碑がある。
参考文献[編集]
●﹃落合郷土誌﹄ 第十九章 社寺と文化 第二節 寺院 高福寺 落合郷土誌編纂委員会 p647~p648 昭和45年(1970年)
●﹃中津川市史 中巻Ⅱ﹄ 第五編 近世(二) 第八章 寺社 第二節 寺院 ニ 近世の寺院 高福寺 p1616~p1617 1988年
●﹃尾張藩領落合村誌﹄ 山川喬 1991年
●﹃恵那郡史﹄ 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) ︻各宗寺院︼ p612~p619 恵那郡教育会 1926年
外部リンク[編集]
●浄土宗 中央山 高福寺