鴨下晁湖
鴨下 晁湖︵かもした ちょうこ、明治23年︵1890年︶2月25日‐昭和42年︵1967年︶10月20日︶は、日本画家。
人物画を得意とし、新聞、雑誌の挿絵画家としても活躍した。明治40年︵1907年︶の第1回文展に﹃山法師﹄を出品し、三等賞を受賞している。昭和33年︵1958年︶、挿絵を描いた﹃天平の少年 奈良の大仏建立/乱世に生きる二人﹄︵福田清人・文、講談社︶が第5回産経児童出版文化賞受賞。
経歴[編集]
1890年東京に生まれる。本名は鴨下中雄。 東京美術学校に学び、中退して、松本楓湖の門下に入り、大和絵風の歴史画を専攻する。 後に、楓湖の師弟が多く集まる巽画会に入会し、評議員を務めた。また、日展無鑑査となっている。 大正13年︵1924年︶、池田輝方らとともに12ヶ月の風俗を描いて共作した新版画﹁新浮世絵美人合 九月 ほろ酔ひ﹂を版行している。 昭和23年︵1948年︶、岩田専太郎、宮尾しげを、田河水泡、田中比佐良、小野佐世男、富田千秋、河原久仁於、 田代光、嶺田弘、清水三重三、細木原青起、寺本忠雄、須藤しげる、梁川剛一とともに、出版美術家連盟︵後の日本出版美術家連盟︶を結成した[1]。 ﹃講談倶楽部﹄などに掲載された岡本綺堂﹁半七捕物帳﹂、昭和31年︵1956年︶5月から﹃週刊新潮﹄に連載された柴田錬三郎の﹁眠狂四郎無頼控﹂などの眠狂四郎シリーズ[2]などの挿絵を描いた。吉川英治﹁続鳴門秘帖﹂の挿画、講談社の絵本﹁舌切雀﹂の絵や、書籍の装丁も手がけた。 昭和28年︵1953年︶4月1日、出版美術家連盟を代表して、文芸美術国民健康保険組合の理事となった[3]。作品[編集]
- 「舞妓」 木版画 1933年(昭和8年)
- 「新田義貞」 紙本著色 額装 181x151cm 神宮徴古館蔵 1833-42年(昭和8-17年)[4]
- 「神竜図」隅田稲荷神社(昭和17-18年頃)墨田区登録有形文化財
参考文献[編集]
- 岡畏三郎他編 『原色浮世絵大百科事典』第10巻 大修館書店、1981年