鵜飼猛
うかい たけし 鵜飼 猛 | |
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生誕 |
1866年1月29日 日本)島根県松江 |
洗礼 | 1886年 |
死没 |
1948年5月6日(82歳没) 日本東京府東京市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | シンプソン大学 |
職業 | 牧師 |
配偶者 | 矢島妙子 |
子供 | 湯浅清子、鵜飼信成、鵜飼宣道、鵜飼勇 |
親 | 養父:鵜飼渚 |
鵜飼 猛︵うかい たけし、1866年1月29日︵慶応元年12月13日︶ - 1948年︵昭和23年︶5月6日︶は、日本の牧師。法学者の鵜飼信成や、アメリカ共産党員でアメリカOSS︵戦略情報局︶にも所属した鵜飼宣道︵ジョー・コイデ︶、銀座教会名誉牧師の鵜飼勇の実父でもある。
生涯[編集]
初期[編集]
1866年1月29日︵慶応元年12月13日︶に松江に生まれる。1879年︵明治12年︶同郷の鵜飼渚の養子となる。渡米・入信[編集]
1885年︵明治18年︶東京府立第一中学校を中退して、美山貫一を頼ってサンフランシスコに行く。 1886年︵明治19年︶ サンフランシスコの中国人伝道館で洗礼を受ける。その後、アイオワ州のシンプソン大学で学ぶ。牧師時代[編集]
1894年︵明治27年︶ アメリカ・メソジスト教会で按手礼を受けて牧師になる。 1895年︵明治28年︶ 帰国し、青山美以教会︵のちに銀座教会と合併︶で牧師になる。 1896年︵明治29年︶4月 中央美以教会︵のちの銀座教会︶に転任。3代目牧師となる[1]。 1901年︵明治34年︶1月1日 妙子夫人︵矢嶋楫子の娘︶との間に長女 清子が誕生。 1906年︵明治39年︶ 信成が誕生。 1906年︵明治39年︶4月 鎌倉メソジスト教会︵現・日本基督教団鎌倉教会︶に転任[2]。河合禎三と共に日本教会学校協会を創設して、主事にもなり、日本の教会学校の推進に尽力する。 1907年︵明治40年︶5月 日本メソジスト銀座教会︵のちの日本基督教団銀座教会︶へ再赴任。4代目牧師になる[3]。 1908年︵明治41年︶ 駒込教会に転任[4]。 1910年︵明治43年︶3月 日本メソジスト銀座教会︵のちの日本基督教団銀座教会︶へ再赴任。6代目牧師になる[5]。 1922年︵大正11年︶4男の勇が誕生。 1923年︵大正13年︶3月 鎌倉メソジスト教会︵現・日本基督教団鎌倉教会︶に転任[6]。 1948年︵昭和23年︶5月6日 没。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『日本キリスト教大事典』教文館、1988年
- 『銀座教会百年史』日本基督教団銀座教会、1994年4月25日