鹿児島県立加世田高等学校
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鹿児島県立加世田高等学校 | |
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過去の名称 |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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学区 | 南薩学区 |
校訓 |
自主独立 協力奉仕 不撓不屈 |
設立年月日 | 1912年6月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D146210000128 |
高校コード | 46116E |
所在地 | 〒897-0003 |
鹿児島県南さつま市加世田川畑3200 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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鹿児島県立加世田高等学校︵かごしまけんりつ かせだこうとうがっこう︶は、鹿児島県南さつま市加世田川畑にある普通科の県立高等学校。2011年度より南薩学区。
沿革[編集]
略歴 ●1912年に加世田村立女子技芸学校として開校し、その後高等女学校となる。戦後の学制改革により新制高等学校として発足。2012年に創立100周年を迎えた。 年表 ●1912年6月 - 加世田村立女子技芸学校として開校。 ●1914年4月 - 加世田村立実科高等女学校と改称し開校。 ●1918年4月 - 川辺郡立実科高等女学校と改称し開校。 ●1920年3月 - 鹿児島県成淑高等女学校と改称許可。 ●1923年3月 - 鹿児島県に移管、鹿児島県立加世田高等女学校と改称。 ●1948年4月 - 学制改革により鹿児島県立加世田高等学校として発足。本部を加世田高等学校内におき、旧加世田高等女学校を第2部、旧加世田農学校を第1部と称す。第2部に加世田町立の定時制家庭科を併置、第1部に同定時制農業本科、建築科及び女子農業別科を併置。 ●1949年 - 部制廃止、鹿児島県立加世田高等女学校並びに併設中学校閉校。第1部は定時制と共に加世田農業高等学校︵現:鹿児島県立加世田常潤高等学校︶として独立。鹿児島県加世田高等学校と改称。 ●1950年 - 校歌制定。 ●1956年 - 鹿児島県立加世田高等学校と改称。 ●1975年 - 校訓制定。 ●1983年7月 - 新校舎︵現在地︶に移転。 ●1984年 - シンボルツリー﹁あふちの木﹂を旧校地から新校地へ移植。 ●1991年 - 研究紀要﹃あふち﹄創刊 ●2006年 - 鹿児島県立笠沙高等学校の閉校に伴う事務引継校となる ●2014年 - 鹿児島県進学指導重点支援校に指定。象徴[編集]
●校訓 ●﹁自主独立﹂﹁協力奉仕﹂﹁不撓不屈﹂ ●校歌 ●作詞は坂口利雄︵代表作﹁鹿児島県民の歌﹂︶、作曲は岡本敏明。四部合唱で、3番まである。 ●校歌の他に、3年生が卒業式で歌う﹁いざはばたかん﹂という卒業の歌がある。 ●シンボルツリー ●﹁あふちの木﹂学校行事[編集]
●文化祭 ●例年クラス発表は、3年生が劇、2年生がバザー等の催し物、1年生が展示となっている。 ●クラス発表だけでなく、文化系部活動や一部委員会も参加する。 ●体育祭 ●学年対抗。3年生が仮装行列を行うのが恒例となっている。 ●35km遠行 ●鍛錬行事。いわゆる強歩大会。 ●クラスマッチ ●年2回。1学期は全学年のクラス、3学期は1・2学年のクラスが参加。 ●修学旅行︵2年生︶ ●おうちの日 ●年に数回ある奉仕作業の日。名称はシンボルツリーの﹁あふち︵おうち︶の木﹂にちなむ。 ●宿泊研修︵1年生︶ ●一日遠足︵2・3年生︶ ●芸術鑑賞会 ●文化講演会 ●大学出張講義 ●校内読書会部活動[編集]
一覧 2021年度︵令和3年度︶現在- 文化系
- 書道部、美術部、放送部、吹奏楽部、茶道部、文芸部(2011年第26回全国高等学校文芸コンクール詩部門優良賞1名、入選1名)、
- 体育系
- 野球部、サッカー部、剣道部、バスケットボール部、バレーボール部、卓球部、テニス部、陸上競技部、弓道部、水泳部、バドミントン部、ダンスプロジェクト、
著名な出身者[編集]
- 政治・行政
- 実業・経済
- 報道・マスコミ
- 学術・研究
- 折田悦郎 - 歴史学者(日本近代大学史)、九州大学名誉教授
- 神野耕太郎 - 医学者(生理学)、東京医科歯科大学名誉教授
- 鮫島卓 - 観光学者、駒沢女子大学教授
- 髙橋聡美 - 看護学者(精神看護学)
- 六反田豊 - 歴史学者(朝鮮中世・近世史)、東京大学教授
- 芸術・芸能
- スポーツ