先週末は、またも引きこもって本棚片づけまくっていた。
で、ひややかに本のメモ用のブログがあるんだが、片付けるついでにポストしていった。2日間で50冊ほどレビューできて充実。そのままダンボールにつめて7箱は大阪に旅立った。ということで、せっかくなので、本多さんの「Finedays」レビューを。
ちなみにこのFINEDAYSも短編集だったのだが、おすすめの一冊。MISSINGとこれがおすすめ。
僕は50音で埋まっていた原稿用紙をひっくり返し、
裏に﹁反省文﹂というタイトルをつけて﹁すごくしてます﹂と書いた。
それだけではいくら何でも愛想がないような気がして、
少し考え、付け足した。﹁本当です﹂
なんかいいよね。このどこにもたどり着けない感が。しいて言うならば、薬局でロシア語を使って煙草を値切る、という風景が思い浮かぶよ。ピロシキもったロシア人。すげーツバ飛ばすの︵イメージです︶。で、薬局のおばあちゃん苦笑い。
ともあれ。反省文ねえ。中学校の時1回あったかなぁ。どうせ遠足にポカリもっていったから、とかいうメタ牧歌的。まるで、地獄の黙示録の前の静けさを現すほど平和な時代だったよ。
まさか安井がそんなことをするとは思っていなかったけど責任というものは結果にともなうものあって、意志に伴うものではない。
はい、これインポルタンテ。復唱はい。責任は意志に伴うのではなく結果に伴う。はい。
これが何を意味するかというと、﹁手を出すつもりじゃなかったんだよ!﹂という言い訳を全否定することに使えますね。
﹁でも、やったんだろ!﹂みたいな。ありがち。
非常に深い。結婚式で読み上げたい一句ですね。
次、大学の教授と助手︵女︶の会話。
﹁ツトム。すらっと背が高くて、育ちのいいハムスターみたいな顔をした男の子﹂
﹁覚えていませんね﹂
﹁ほら、いつもゼミのとき、教室の片隅で便秘気味のパリサイ派みたいな顔で座っている﹂
お通じに悩む厳格なユダヤ教徒みたいな顔をした育ちのいいハムスター。
私の想像力を超えていた。
﹁いたかもしれませんね﹂と私は面倒臭くなって妥協した
これずるいよ。本多さん、明らかに狙ってるのに笑ってしまった。パリサイ派とか、凄いところついてくるし。微妙に知っているけど、日常では絶対つかえへん、みたいな。うまいなぁ。
あと最後の1行好き。
﹁めんどくさくなって妥協﹂。こういう妥協が人生を彩るよね。何事も、﹁鈍すれば通ズ﹂ってのは詰まらん。妥協がいいというわけじゃないけれど。
で、話の続き。ツトム君を心配する教授。
﹁ゼミに友達がいないみたいなんだよ、彼﹂
﹁趣味がいいんでしょう﹂
なんて素晴しい返しなんだと。
これこそが宮田君の電光石火のカウンターですよ。これは人生の色々なシーンで活用することができます。
それではごきげんよう。