アルバニア
(一) ( A l b a n i a ) バ ル カ ン 半 島 の 南 西 部 に あ る 国 。 古 代 か ら ロ ー マ 、 ビ ザ ン チ ン 、 ト ル コ な ど の 支 配 を 受 け た が 、 一 九 一 二 年 ア ル バ ニ ア 王 国 と し て 独 立 。 二 一 年 ア ル バ ニ ア 共 和 国 、 四 六 年 ア ル バ ニ ア 人 民 共 和 国 、 七 六 年 ア ル バ ニ ア 人 民 社 会 主 義 共 和 国 と な っ た が 、 九 一 年 社 会 主 義 政 権 が 倒 れ 、 再 び ア ル バ ニ ア 共 和 国 と 改 称 。 首 都 チ ラ ナ 。
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
アルバニア あるばにあ Albania
南 東 ヨ ー ロ ッ パ 、 バ ル カ ン 半 島 南 西 部 に 位 置 す る 共 和 国 。 正 称 は 、 シ ュ チ ペ リ ア 共 和 国 R e p u b l i k a e S h q i p ë r i s ë 。 シ ュ チ ペ リ ア は ﹁ 鷲 ( わ し ) の 国 ﹂ の 意 味 で 、 国 章 と 国 旗 に 双 頭 の 鷲 の 図 柄 が 使 用 さ れ て い る 。 北 東 は コ ソ ボ 、 北 西 は モ ン テ ネ グ ロ 、 東 は 北 マ ケ ド ニ ア 共 和 国 、 南 は ギ リ シ ア に 隣 接 し 、 西 は ア ド リ ア 海 に 面 し 、 そ の 対 岸 に イ タ リ ア が あ る 。 面 積 は 2 万 8 7 4 8 平 方 キ ロ メ ー ト ル で 、 四 国 の 約 1 . 5 倍 の 大 き さ で あ る 。 人 口 3 0 6 万 9 2 7 5 ︵ 2 0 0 1 年 セ ン サ ス ︶ 。 1 人 当 り 国 民 総 生 産 ︵ G D P ︶ は 3 3 6 0 ド ル ︵ 2 0 0 7 ︶ 。 首 都 チ ラ ナ 特 別 市 ほ か 36 の 行 政 区 ︵ 県 ︶ に 分 か れ て い る 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 厳 格 な ス タ ー リ ン 型 共 産 主 義 体 制 を と っ て 、 共 産 圏 諸 国 が 体 制 改 革 に 乗 り 出 す な か で 一 種 の 鎖 国 政 策 を 進 め て い た が 、 1 9 9 0 年 以 降 は 、 ほ か の 東 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 同 様 、 複 数 政 党 制 に よ る 選 挙 が 実 施 さ れ て 非 共 産 主 義 政 権 が 成 立 し 共 和 制 と な り 、 欧 米 寄 り の 政 策 を 進 め て い る 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
南 北 3 4 0 キ ロ メ ー ト ル 、 東 西 の 最 大 幅 1 5 0 キ ロ メ ー ト ル の 細 長 い 国 で 、 海 岸 沿 い の 平 野 の ほ か は 起 伏 に 富 む 山 地 で あ り 、 国 土 の 7 割 が 標 高 3 0 0 メ ー ト ル 以 上 の 風 光 明 媚 ( め い び ) な 国 で あ る 。 コ ソ ボ 、 モ ン テ ネ グ ロ お よ び 北 マ ケ ド ニ ア 共 和 国 と の 国 境 地 帯 に は コ ラ ブ 山 ︵ 2 7 5 1 メ ー ト ル ︶ を は じ め デ ィ ナ ル ・ ア ル プ ス 系 の 2 0 0 0 メ ー ト ル 級 の 山 々 が 連 な る 。 北 マ ケ ド ニ ア 共 和 国 か ら 流 入 す る ド リ ン 川 が 国 内 2 8 0 キ ロ メ ー ト ル を 流 れ 、 河 口 付 近 は 分 流 し て 、 ブ ー ネ 川 な ど 他 の 数 条 の 河 川 と と も に ア ド リ ア 海 に 注 ぐ 。 湖 で は 北 部 の シ ュ コ ー デ ル 湖 ︵ 約 3 6 0 平 方 キ ロ メ ー ト ル ︶ 、 南 東 部 の オ フ リ ド 湖 、 プ レ ス パ 湖 が い ず れ も 国 境 上 に あ る 。 海 岸 地 帯 は 温 暖 な 地 中 海 性 気 候 で 、 降 雪 は ま れ で あ る 。 内 陸 部 は 大 陸 性 気 候 で 、 冬 季 に 積 雪 が あ る 。 年 降 水 量 は 全 国 平 均 で 1 0 0 0 ミ リ メ ー ト ル を 超 す 。 夏 の 最 高 気 温 は 30 ℃ を 超 え 、 冬 の 最 低 気 温 は 海 岸 で 0 ℃ 前 後 、 内 陸 部 の 諸 都 市 で 零 下 10 ℃ 以 下 と な る 。 国 土 の 4 割 余 り が 耕 地 や 牧 草 地 、 同 じ く 4 割 余 り が 森 林 で 、 カ シ ワ 、 ブ ナ 、 マ ツ が 多 い 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
首 都 チ ラ ナ は 、 繊 維 、 化 学 、 食 品 工 業 な ど が 発 達 し 、 そ の 生 産 高 は 全 鉱 工 業 生 産 の 4 分 の 1 前 後 に 上 る 。 そ の ほ か 、 中 部 の 港 湾 都 市 ド ゥ レ ス で は 、 化 学 、 軽 工 業 、 北 部 の 都 市 シ ュ コ ー デ ル で は た ば こ や 金 属 工 業 な ど の 産 業 が あ る が 、 生 産 施 設 の 老 朽 化 が 甚 だ し く 、 1 9 9 0 年 に 市 場 経 済 化 を 開 始 し て 以 降 は 未 稼 働 の 工 場 も 多 い 。 ア ル バ ニ ア は 、 地 下 資 源 に 恵 ま れ 、 中 部 と 南 部 の 海 岸 地 帯 で は 石 油 を 、 ま た 、 北 部 と 東 部 の 山 岳 地 帯 で は ク ロ ム 、 鉄 、 銅 、 ニ ッ ケ ル な ど を 産 出 し 、 そ れ に あ わ せ て 付 近 の 都 市 に 精 製 ま た は 製 錬 施 設 が 建 設 さ れ て い る 。 さ ら に 、 北 部 と 東 部 で は 、 山 が ち な 地 形 を 生 か し た 水 力 発 電 所 が 多 数 建 設 さ れ て い る 。 農 業 は 、 海 岸 平 野 部 を 中 心 に 行 わ れ 、 小 麦 、 綿 花 、 果 実 類 、 タ バ コ 、 ジ ャ ガ イ モ 、 ト マ ト 、 オ リ ー ブ 、 ビ ー ト ︵ テ ン サ イ ︶ な ど が 主 作 物 で あ る 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
ア ル バ ニ ア 人 は 自 ら を 古 代 イ リ リ ア 人 ︵ バ ル カ ン の 先 住 民 族 、 紀 元 前 2 世 紀 に 滅 亡 ︶ の 子 孫 と 称 し て い る が 、 そ の 正 確 な 起 源 は 不 明 で あ る 。 現 在 の ア ル バ ニ ア 人 の 領 土 は 、 古 代 ロ ー マ 帝 国 、 つ い で 東 ロ ー マ 帝 国 の 版 図 ( は ん と ) に 入 り 、 7 世 紀 以 降 は ビ ザ ン テ ィ ン 帝 国 、 ブ ル ガ リ ア 帝 国 、 ラ テ ン 帝 国 、 セ ル ビ ア 帝 国 の 支 配 を 受 け た 。 な お 、 11 世 紀 の ビ ザ ン テ ィ ン 帝 国 の 史 書 に お い て ア ル バ ニ ア 人 の 名 が 歴 史 上 初 め て 登 場 す る 。 14 世 紀 に オ ス マ ン ・ ト ル コ の バ ル カ ン 侵 入 に 伴 い そ の 支 配 下 に 組 み 込 ま れ る と 、 以 後 5 世 紀 間 ト ル コ 帝 国 の 支 配 を 受 け 、 住 民 の イ ス ラ ム 教 化 が 進 行 し た 。 途 中 、 15 世 紀 な か ば に 一 豪 族 の ス カ ン デ ル ベ グ が ト ル コ の 支 配 に 抗 し て 蜂 起 ( ほ う き ) し 、 1 4 4 3 年 以 来 25 年 間 ト ル コ の 大 軍 を 撃 退 し 続 け た 。 ス カ ン デ ル ベ グ は 今 日 民 族 的 英 雄 と な っ て お り 、 現 在 の 国 旗 は 彼 の 旗 に 由 来 し て い る 。
1 8 7 8 年 、 民 族 意 識 の 高 ま り の な か に プ リ ズ レ ン ︵ 現 、 コ ソ ボ 共 和 国 内 南 部 の 都 市 ︶ で ア ル バ ニ ア 国 民 連 盟 ︵ プ リ ズ レ ン 連 盟 ︶ が 結 成 さ れ 、 ト ル コ 軍 と 衝 突 し た 。 1 9 1 2 年 、 第 一 次 バ ル カ ン 戦 争 に お け る ト ル コ の 敗 退 に 際 し 、 イ ス マ イ ル ・ チ ェ マ ル I s m a i l Q e m a l i ︵ 1 8 4 4 ― 1 9 1 9 ︶ の 率 い る 一 団 が ブ ロ ー ラ に お い て 独 立 を 宣 言 、 臨 時 政 府 を 組 織 し た 。 1 9 1 3 年 、 列 強 は ロ ン ド ン の 大 使 会 議 に お い て ア ル バ ニ ア を 列 強 の 後 見 の も と に 独 立 さ せ る こ と を 決 め 、 国 境 を 画 定 し 、 1 9 1 4 年 ド イ ツ 貴 族 ウ ィ ル ヘ ル ム ・ ウ ィ ー ト W i l h e l m v o n W i e d ︵ 1 8 7 6 ― 1 9 4 5 ︶ が ア ル バ ニ ア 王 と し て 送 り 込 ま れ た 。 し か し 彼 は 国 内 に 根 を 下 ろ し え ず 、 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 ( ぼ っ ぱ つ ) 後 ま も な く 国 外 に 去 り 、 戦 火 の な か で 、 オ ー ス ト リ ア 、 つ い で イ タ リ ア に 占 領 さ れ た 。 1 9 2 0 年 イ タ リ ア 軍 を 追 い 出 し て 独 立 を 回 復 、 国 際 連 盟 に 加 入 し た 。 そ の 後 、 地 主 出 身 の ア フ メ ッ ト ・ ゾ ー グ が 台 頭 し 、 一 時 は 進 歩 的 な フ ァ ン ・ ノ ー リ F a n S t i l i a n N o l i ︵ 1 8 8 2 ― 1 9 6 5 ︶ 政 権 に と っ て か わ ら れ た ︵ 1 9 2 4 ︶ も の の 、 返 り 咲 い て 大 統 領 と な り 、 1 9 2 8 年 に は 王 制 を 宣 言 し て 自 ら 国 王 ︵ ゾ ー グ 1 世 ︶ と な っ た 。 経 済 的 に は イ タ リ ア へ の 依 存 を 強 め 、 1 9 3 9 年 イ タ リ ア に 武 力 併 合 さ れ て ゾ ー グ は 亡 命 し 、 第 二 次 世 界 大 戦 中 、 イ タ リ ア の 降 伏 後 は ド イ ツ に 占 領 さ れ た 。
1 9 4 1 年 に は ア ル バ ニ ア 共 産 党 が 結 成 さ れ て パ ル チ ザ ン 闘 争 を 開 始 し 、 1 9 4 4 年 10 月 エ ン ベ ル ・ ホ ッ ジ ャ を 首 班 と し て 臨 時 政 権 を 樹 立 、 同 年 11 月 末 ま で に 自 力 で 全 土 を 解 放 し 、 1 9 4 6 年 1 月 人 民 共 和 国 を 宣 言 し て 社 会 主 義 国 と な っ た 。 1 9 6 1 年 、 中 ソ 論 争 に 際 し て ソ 連 圏 か ら 離 脱 し 、 中 国 の 盟 友 と な っ て そ の 援 助 を 受 け た 。 1 9 7 8 年 、 イ デ オ ロ ギ ー 論 争 を 契 機 と し て 中 国 は 援 助 を 打 ち 切 っ た が 、 国 交 は 継 続 す る 。 以 後 、 ア ル バ ニ ア は 外 国 か ら の 援 助 を い っ さ い 拒 否 し て 孤 立 化 ・ 自 力 更 正 政 策 を 進 め た 。 し か し 、 1 9 8 5 年 の ホ ッ ジ ャ の 死 後 、 国 際 情 勢 の 変 化 や 経 済 悪 化 か ら 孤 立 化 ・ 自 力 更 正 政 策 の 続 行 は 困 難 に な り 、 ホ ッ ジ ャ の 後 を 受 け た 党 第 一 書 記 ラ ミ ズ ・ ア リ ア R a m i z A l i a ︵ 1 9 2 5 ― 2 0 1 1 ︶ は 緩 や か な 開 放 政 策 を 推 進 し た 。
1 9 9 0 年 、 東 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の 民 主 化 の 影 響 を 受 け 、 さ ら に 国 内 か ら イ タ リ ア や ギ リ シ ア に 難 民 が 大 量 流 出 す る に 及 ん で 大 幅 な 民 主 化 政 策 の 導 入 に 迫 ら れ た 。 1 9 9 1 年 、 国 名 が ア ル バ ニ ア 社 会 主 義 人 民 共 和 国 か ら ア ル バ ニ ア 共 和 国 に 変 更 さ れ る と と も に 、 大 統 領 制 が 導 入 さ れ た 。 ま た 、 戦 後 初 め て の 複 数 政 党 制 に よ る 選 挙 が 実 施 さ れ 、 旧 労 働 党 ︵ 共 産 党 ︶ の 社 会 党 が 勝 利 し 、 民 主 党 を は じ め と す る 野 党 と の 間 で 挙 国 一 致 内 閣 が 樹 立 さ れ た 。 し か し 、 徐 々 に 力 を つ け て き た 民 主 党 が 挙 国 一 致 内 閣 か ら 離 反 し た た め 、 1 9 9 2 年 春 に 再 度 選 挙 が 実 施 さ れ 、 民 主 党 が 議 席 の 7 割 近 く を 獲 得 、 サ リ ・ ベ リ シ ャ S a l i B e r i s h a ︵ 1 9 4 4 ― ︶ を 大 統 領 と す る 民 主 党 政 権 が 誕 生 し 、 長 年 続 い た 共 産 主 義 政 権 は 終 焉 ( し ゅ う え ん ) し た 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
1 9 9 0 年 末 の 複 数 政 党 制 導 入 以 来 、 労 働 党 に よ る 一 党 独 裁 は 排 除 さ れ 、 直 接 選 挙 に 基 づ く 議 会 制 民 主 主 義 体 制 を と っ て い る 。 立 法 機 関 は 人 民 議 会 で 一 院 制 、 議 員 は 1 4 0 名 、 任 期 は 4 年 で あ る 。 ま た 、 閣 僚 評 議 会 が 内 閣 に 相 当 す る 最 高 行 政 機 関 で 、 評 議 会 議 長 が 首 相 、 副 議 長 が 副 首 相 に 相 当 す る 。 大 統 領 は 国 家 元 首 、 軍 最 高 司 令 官 、 共 和 国 国 防 評 議 会 議 長 で あ り 、 人 民 議 会 に よ り 選 出 さ れ 、 任 期 は 5 年 で あ る 。 1 9 9 6 年 に 実 施 さ れ た 人 民 議 会 選 挙 で は 、 社 会 党 な ど の 野 党 が ボ イ コ ッ ト す る な か で 民 主 党 が 大 勝 し た が 、 1 9 9 7 年 春 に ね ず み 講 問 題 を 発 端 と し て 国 が 無 秩 序 状 態 に 陥 る な か で 、 大 統 領 ベ リ シ ャ は 人 民 議 会 に よ る 自 ら の 再 選 を 強 行 す る 一 方 、 メ ク シ A l e x a n d e r M e k s i ︵ 1 9 3 9 ― ︶ 民 主 党 内 閣 は 退 陣 し 社 会 党 の フ ィ ノ B a s h k i m F i n o ︵ 1 9 6 2 ― 2 0 2 1 ︶ を 首 班 と す る 暫 定 挙 国 一 致 内 閣 が 樹 立 さ れ た 。 そ し て 、 1 9 9 7 年 6 月 、 フ ィ ノ 暫 定 内 閣 の 下 で 人 民 議 会 選 挙 が 実 施 さ れ て 社 会 党 が 大 勝 し 、 社 会 党 を 中 心 と す る 連 立 政 権 が 発 足 す る と と も に 、 ベ リ シ ャ の 大 統 領 辞 任 を 受 け て 、 7 月 に は 後 任 に 社 会 党 出 身 の レ ジ ェ ッ プ ・ メ イ ダ ニ R e x h e p M e i d a n i ︵ 1 9 4 4 ― ︶ が 選 出 さ れ た 。 1 9 9 8 年 新 憲 法 制 定 。 2 0 0 0 年 10 月 の 地 方 選 挙 、 2 0 0 1 年 6 、 7 月 の 総 選 挙 は 社 会 党 が 勝 利 。 2 0 0 2 年 6 月 、 メ イ ダ ニ の 任 期 満 了 に 伴 い 行 わ れ た 大 統 領 選 挙 で は 、 ア ル フ レ ッ ド ・ モ イ シ ウ A l f r e d M o i s i u ︵ 1 9 2 9 ― ︶ が 選 出 さ れ 、 7 月 に 大 統 領 に 就 任 、 社 会 党 党 首 ナ ノ F a t o s N a n o ︵ 1 9 5 2 ― ︶ が 首 相 と な っ た 。 2 0 0 5 年 7 月 の 議 会 選 挙 で は 野 党 民 主 党 が 躍 進 し 、 民 主 党 党 首 ベ リ シ ャ が 首 相 に 就 任 、 民 主 党 中 心 の 連 立 政 権 と な り 、 社 会 党 か ら の 政 権 交 代 が 行 わ れ た 。 2 0 0 7 年 7 月 、 任 期 が 終 了 し た モ イ シ ウ の 後 任 と し て 、 民 主 党 副 党 首 の バ ミ ル ・ ト ピ B a m i r T o p i ︵ 1 9 5 7 ― ︶ が 大 統 領 に 選 出 さ れ た 。
対 外 政 策 で は 、 共 産 主 義 政 権 時 代 の 孤 立 化 政 策 を 大 幅 に 転 換 し 、 欧 米 諸 国 や 国 連 、 世 銀 な ど の 国 際 機 関 と の 関 係 強 化 に 努 力 し て い る 。 と く に 、 自 国 が ヨ ー ロ ッ パ に 位 置 す る こ と を 強 調 し つ つ EU ︵ ヨ ー ロ ッ パ 連 合 ︶ に 積 極 的 に 接 近 し て お り 、 N A T O ( ナ ト ー ) ︵ 北 大 西 洋 条 約 機 構 ︶ へ は 2 0 0 9 年 4 月 に 加 盟 、 EU へ も 早 期 加 盟 の 実 現 を 目 ざ し て い る 。 近 隣 諸 国 と の 関 係 で は 、 セ ル ビ ア 、 モ ン テ ネ グ ロ 、 北 マ ケ ド ニ ア 共 和 国 、 ギ リ シ ア な ど に 居 住 す る ア ル バ ニ ア 人 少 数 民 族 の 自 治 ま た は 人 権 問 題 に 注 視 し て お り 、 と く に 、 独 立 前 の コ ソ ボ の ア ル バ ニ ア 人 問 題 を め ぐ り 、 セ ル ビ ア と 対 立 し た 状 態 が 続 い た 経 緯 が あ る 。 な お 、 1 9 9 2 年 に イ ス ラ ム 諸 国 会 議 機 構 に 加 盟 し て お り 、 イ ス ラ ム 諸 国 と の 関 係 も 強 化 し て い る 。 1 9 9 5 年 に 欧 州 評 議 会 に 参 加 。 2 0 0 0 年 に W T O ︵ 世 界 貿 易 機 関 ︶ 加 盟 。
国 防 で は 、 軍 が 1 9 9 2 年 以 降 ア メ リ カ な ど か ら 援 助 を 受 け 近 代 化 を 進 め て い た が 、 1 9 9 7 年 の 騒 動 の 際 に 武 装 市 民 勢 力 に 重 火 器 や 艦 艇 な ど を 多 数 奪 わ れ て お り 崩 壊 状 態 に あ る 。 軍 の 2 0 0 2 年 時 点 で の 兵 力 は 、 陸 軍 2 万 、 海 軍 2 5 0 0 ︵ 戦 闘 艦 艇 24 隻 な ど ︶ 、 空 軍 4 5 0 0 で あ る 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
ア ル バ ニ ア は 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 共 産 主 義 政 権 の 下 で 、 共 産 圏 諸 国 の 支 援 に 頼 り つ つ 工 業 化 、 農 業 近 代 化 を 目 ざ し た 計 画 経 済 体 制 を と っ て い た 。 戦 後 の 工 業 化 の 進 展 は 急 速 で 、 戦 前 は わ ず か で あ っ た 鉱 工 業 生 産 は 、 1 9 6 0 年 に 農 業 生 産 を 上 回 り 、 1 9 8 1 年 に は 工 農 生 産 比 が ほ ぼ 7 対 3 に な っ た 。 し か し 、 1 9 6 1 年 の 対 ソ 連 断 交 、 そ し て 1 9 7 8 年 の 中 国 と の 関 係 悪 化 を 経 て 自 力 更 正 政 策 を 導 入 す る と 、 経 済 活 動 は 停 滞 し た 。 ア ル バ ニ ア は 、 1 9 9 1 年 よ り 市 場 経 済 へ の 移 行 を 開 始 し た が 、 設 備 の 老 朽 化 、 労 働 モ ラ ル の 低 下 な ど が 原 因 と な っ て 、 鉱 工 業 生 産 は 劇 的 に 減 少 し た 。 と く に 、 重 工 業 部 門 の 不 振 が 深 刻 で 、 多 く の 国 営 企 業 は 未 稼 働 状 態 に あ る 。 か つ て 世 界 第 3 位 の 生 産 ・ 輸 出 量 を 誇 っ て い た ク ロ ム も 、 2 0 0 2 年 に は 第 9 位 、 世 界 の 生 産 量 の 0 . 5 % に 落 ち て い る 。 一 方 、 食 品 、 繊 維 な ど の 軽 工 業 部 門 や 農 業 、 観 光 、 公 共 投 資 は 活 性 化 し つ つ あ る 。 主 要 産 業 は 、 農 業 、 機 械 工 業 、 鉱 業 、 製 造 業 。 2 0 0 4 年 の G D P ︵ 国 民 総 生 産 ︶ は 76 億 ド ル 、 1 人 当 り G D P は 2 3 8 1 ド ル 、 貿 易 総 額 26 億 2 0 0 0 万 ド ル 、 輸 出 総 額 5 億 5 0 0 0 万 ド ル 、 輸 入 総 額 20 億 7 0 0 0 万 ド ル 。 主 要 輸 出 品 目 は 繊 維 、 建 築 資 材 、 食 料 品 な ど 、 主 要 輸 入 品 目 は 機 械 、 食 料 品 、 繊 維 な ど 。 通 貨 は レ ク L e k 。
農 業 は 、 社 会 主 義 時 代 に 集 団 化 が 行 わ れ た も の の 、 大 規 模 化 、 機 械 化 に ま で は 発 展 し な か っ た 。 1 9 9 1 年 、 市 場 経 済 の 導 入 に あ わ せ て 実 施 さ れ た 農 地 私 有 化 が 成 功 し 、 生 産 活 動 が 活 発 化 し て い る 。 な お 、 農 民 は 、 収 益 率 の 高 い 果 実 類 な ど を 好 ん で 栽 培 す る 傾 向 が あ る 。
輸 出 は ク ロ ム や 銅 な ど の 非 鉄 金 属 や 靴 や 繊 維 製 品 な ど の 軽 工 業 品 が 、 ま た 、 輸 入 は 耐 久 消 費 財 や 中 古 車 な ど の 工 業 製 品 が 中 心 で 、 主 要 貿 易 相 手 国 は イ タ リ ア 、 ギ リ シ ア な ど の ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 で あ る 。 輸 入 が 輸 出 を 大 幅 に 超 過 し て 貿 易 赤 字 が 膨 ら ん で お り 、 国 民 の 経 済 生 活 は 、 海 外 で 働 く 移 民 か ら の 仕 送 り や 、 諸 外 国 ・ 国 際 機 関 か ら の 援 助 に 大 き く 依 存 す る か っ こ う に な っ て い る 。
商 業 は 、 1 9 9 1 年 に 私 有 が 許 可 さ れ て 以 降 急 速 に 発 展 し 、 個 人 経 営 の 商 店 や 貿 易 会 社 が 多 数 設 立 さ れ て い る 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
人 口 の 95 % 以 上 が ア ル バ ニ ア 人 で あ る が 、 北 部 の ゲ グ 人 と 南 部 の ト ス ク 人 と の 間 に は 、 言 語 、 風 習 に 地 方 差 が あ る 。 公 用 語 は ア ル バ ニ ア 語 。 た だ し 標 準 語 に は ト ス ク 方 言 が 採 用 さ れ て い る 。 少 数 民 族 と し て は ギ リ シ ア 人 ︵ 2 . 4 % ︶ 、 マ ケ ド ニ ア 人 、 モ ン テ ネ グ ロ 人 ︵ あ わ せ て 0 . 9 % ︶ な ど が い る 。 ま た 、 セ ル ビ ア 、 コ ソ ボ 、 モ ン テ ネ グ ロ 、 北 マ ケ ド ニ ア 共 和 国 の 領 内 に 約 2 0 0 万 の ア ル バ ニ ア 人 が 居 住 し て い る ほ か 、 イ タ リ ア と ギ リ シ ア に そ れ ぞ れ 20 万 人 前 後 の ア ル バ ニ ア 人 移 民 労 働 者 が い る 。
人 口 増 加 率 は 、 1 9 8 0 年 代 の 2 % 強 か ら 1 9 9 0 年 代 前 半 に は 人 口 の 国 外 流 出 に よ っ て 1 % に 低 下 し た が 、 依 然 、 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の な か で も 高 水 準 で あ る 。 ア ル バ ニ ア は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 最 貧 国 群 か ら 脱 す る こ と が で き ず 、 首 都 チ ラ ナ に は 職 を 求 め る 農 村 人 口 が 大 量 に 流 入 し 続 け て お り 、 ま た 、 市 場 経 済 導 入 以 降 、 貧 富 の 差 が 急 速 に 拡 大 し つ つ あ る 。
宗 教 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 前 は イ ス ラ ム 教 徒 が 7 割 で 、 ギ リ シ ア 正 教 徒 が 2 割 、 カ ト リ ッ ク 教 徒 が 1 割 で あ っ た が 、 2 0 0 1 年 の 時 点 で の 割 合 は イ ス ラ ム 教 徒 が 39 % 、 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク が 17 % 、 ア ル バ ニ ア 正 教 徒 が 10 % 、 残 り は そ の 他 の 宗 教 あ る い は 不 明 と な っ て い る 。 共 産 主 義 政 権 時 代 に 禁 止 で あ っ た 宗 教 は 1 9 9 0 年 に 解 禁 さ れ た 。
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長 く ト ル コ の 支 配 下 に あ っ て 、 民 族 意 識 の 形 成 と こ れ に 基 づ く 文 化 的 発 展 が 遅 れ た こ と は 否 め な い 。 ア ル バ ニ ア 語 で 授 業 す る 学 校 は 、 1 8 8 7 年 に よ う や く 1 校 の み 設 立 が 認 め ら れ る と い う 状 態 で あ っ た 。 こ の よ う な 条 件 の な か で 、 19 世 紀 に 主 と し て 国 外 で ﹁ ア ル バ ニ ア ・ ル ネ サ ン ス ﹂ 運 動 が お こ っ た が 、 な か で も 叙 事 詩 ﹃ ス カ ン デ ル ベ グ 物 語 ﹄ の ナ イ ム ・ フ ラ シ ャ リ が 光 る 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 は 、 共 産 主 義 政 権 が 芸 術 分 野 を 厳 し い 統 制 下 に 置 き 、 社 会 主 義 リ ア リ ズ ム 路 線 を 強 力 に 推 進 し た 。 そ う し た な か に あ っ て 、 イ ス マ イ ル ・ カ ダ レ I s m a i l K a d a r e ︵ 1 9 3 6 ― ︶ が 独 創 的 な 詩 や 小 説 を 次 々 に 発 表 し 、 世 界 的 名 声 を 獲 得 し て い る 。
ほ か の 地 中 海 諸 民 族 に 比 べ て 物 静 か で 忍 耐 強 い と さ れ る が 、 家 父 長 制 的 メ ン タ リ テ ィ も 残 り 、 女 性 の 地 位 向 上 運 動 が 続 け ら れ て い る 。 市 民 の 楽 し み は 映 画 、 テ レ ビ 、 そ れ に 夕 方 の 散 歩 で あ る 。 ス ポ ー ツ は サ ッ カ ー の 人 気 が 圧 倒 的 で あ る 。
﹇ 齋 藤 厚 ﹈
日本とは1922年(大正11)外交関係が結ばれたが、1939年(昭和14)イタリア併合により断絶、第二次世界大戦後、1981年に再開された。人的交流も貿易額も現時点ではわずかであるが、一方で、日本はアルバニアにとり主要援助供与国の一つとなっている。2008年(平成20)2月、ベリシャ首相が来日。2004年の両国間貿易総額は206万ドル。日本からの輸入総額は147万ドルで、主要輸入品目は機械、自動車など。アルバニアから日本への輸出総額は59万ドルで、主要輸出品目は繊維製品、薬草など。
[齋藤 厚]
『木内信藏著「アルバニア」(「世界地理8 ヨーロッパⅢ」所収・1975・朝倉書店)』 ▽『木戸蓊著「世界現代史24 バルカン現代史」(1977・山川出版社)』 ▽『矢田俊隆編「世界各国史13 東欧史」(1977・山川出版社)』 ▽『中津孝司著「アルバニア現代史」(1991・晃洋書房)』 ▽『伊東孝之他監修「東欧を知る辞典」(1993・平凡社)』 ▽『Stefanaq Pollo and Arben PutoThe History of Albania(1981・Routledge & Kegan Paul)』 ▽『Raymond E.Zickel and Walter R.IwaskiwAlbania, a country study (1994.Federal Research Division,Library of Congress)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
アルバニア Albania
目次 自然・住民 歴史 政治 経済,産業 社会・文化
基 本 情 報
正 式 名 称 = ア ル バ ニ ア 共 和 国 R e p u b l i k a e S h q i p ë r i s ë , R e p u b l i c o f A l b a n i a
面 積 = 2 万 8 7 4 8 k m 2
人 口 ︵ 2 0 0 9 ︶ = 3 1 6 万 人
首 都 = テ ィ ラ ナ T i r a n ë ︵ 日 本 と の 時 差 = - 8 時 間 ︶
主 要 言 語 = ア ル バ ニ ア 語 ︵ 公 用 語 ︶
通 貨 = レ ク L e k
バ ル カ ン 半 島 の 南 西 部 に 位 置 す る 共 和 国 。 北 は モ ン テ ネ グ ロ , 東 は コ ソ ボ , マ ケ ド ニ ア , 南 東 お よ び 南 は ギ リ シ ア と 境 を 接 し , 西 は ア ド リ ア 海 , 南 西 端 の 一 部 は イ オ ニ ア 海 に 面 し て い る 。 全 国 は 26 の 行 政 区 ︵ 県 ︶ に 分 か れ , 首 都 テ ィ ラ ナ は 特 別 市 と な っ て い る 。
自 然 ・ 住 民
地 形 的 に 国 土 は , 北 か ら 南 へ 連 な る 山 岳 地 帯 と , ア ド リ ア 海 沿 い の 15 ~ 3 5 k m の 平 野 部 , 両 者 の 中 間 の 丘 陵 ・ 高 原 地 帯 に 3 分 さ れ る 。 山 地 は デ ィ ナ ル ・ ア ル プ ス 山 系 に 属 し , 大 部 分 第 三 紀 に 隆 起 し た も の で , 深 い 峡 谷 , 急 流 が 多 い 。 北 部 は 標 高 1 5 0 0 ~ 2 5 0 0 m の 山 脈 や 高 原 で , 北 ア ル バ ニ ア ・ ア ル プ ス と も 呼 ば れ , 最 高 峰 は モ ン テ ネ グ ロ と の 国 境 に あ る イ ェ ゼ ル ツ ェ J e z e r c e 山 ︵ 2 6 9 2 m ︶ で あ る 。 モ ン テ ネ グ ロ と の 国 境 に は バ ル カ ン 最 大 の シ ュ コ ダ ル S h k o d ë r 湖 が あ る 。 東 部 に は 三 つ の 山 脈 が 南 北 に 平 行 し て 走 り , そ の 最 高 峰 は マ ケ ド ニ ア と の 国 境 に あ る コ ラ ブ K o r a b 山 ︵ 2 7 6 4 m ︶ で あ る 。 マ ケ ド ニ ア , ギ リ シ ア と の 国 境 近 く に は , オ フ リ ト 湖 , プ レ ス パ P r e s p a 湖 , コ ル チ ャ K o r c ë 台 地 な ど が あ る 。 最 南 端 の 地 域 で は 山 脈 が 海 岸 に 迫 り , ギ リ シ ア 国 境 か ら ブ ロ ラ に 至 る 海 岸 は 風 光 明 美 で 気 候 も 温 暖 な た め , ア ル バ ニ ア ・ リ ビ エ ラ と 呼 ば れ て い る 。 オ フ リ ト 湖 か ら 流 出 す る ド リ ン D r i n 川 を は じ め , マ チ M a t 川 , シ ュ ク ン ビ ン S h k u m b i n 川 , セ マ ン S e m a n 川 , ビ オ サ V i j o s ë 川 な ど の 河 川 は ア ド リ ア 海 に 注 ぐ 。 海 岸 低 地 は 主 と し て 第 三 紀 に 堆 積 し た 部 分 で あ り , テ ィ ラ ナ 周 辺 , 北 部 の シ ュ コ ダ ル 湖 南 部 の 平 野 は 肥 沃 で , こ の 地 域 は 人 口 密 度 も 高 い 。
沿 岸 部 は 地 中 海 式 気 候 で , 東 部 の 山 地 は 内 陸 性 の 気 候 の 影 響 を 受 け る 。 7 月 の 平 均 気 温 は 西 部 で 26 ℃ , 東 部 で 20 ℃ , 1 月 は 西 部 8 ℃ , 東 部 1 ℃ で , 山 地 で は - 2 0 ℃ 以 下 に 下 が る 場 合 も 多 い 。 一 般 の 山 地 の 植 生 の 極 盛 相 は 森 林 で あ り , カ シ , ク マ シ デ , ブ ナ , マ ツ な ど が 多 く , 標 高 1 5 0 0 ~ 1 8 0 0 m の 高 原 地 帯 は 草 原 で 夏 の 放 牧 に 利 用 さ れ る 。
住 民 の 9 7 % は 古 代 イ リ ュ リ ア 人 の 末 裔 と さ れ る ア ル バ ニ ア 人 で , 少 数 民 族 と し て は ギ リ シ ア 人 , ス ラ ブ 系 の マ ケ ド ニ ア 人 が い る 。 ま た 国 外 で は , コ ソ ボ に も 1 2 5 万 人 の ア ル バ ニ ア 人 が 住 み , マ ケ ド ニ ア に 住 む 40 万 人 , ギ リ シ ア , ト ル コ , イ タ リ ア 南 部 の ア ル バ ニ ア 人 を 加 え る と 総 数 は 5 0 0 万 人 に 達 す る 。
宗 教 は , 第 2 次 大 戦 前 は ア ル バ ニ ア 人 の 7 0 % が イ ス ラ ム 教 徒 , 北 部 に カ ト リ ッ ク 教 徒 ︵ 1 2 % ︶ , 南 部 に ギ リ シ ア 正 教 徒 ︵ 1 1 % ︶ と い う 宗 教 分 布 で あ っ た が , 1 9 6 7 年 政 府 は 2 0 0 0 以 上 の モ ス ク と 教 会 の す べ て を 閉 鎖 し , 無 神 国 家 を 宣 言 し た 。 し か し , 90 年 末 に 労 働 党 は 宗 教 活 動 を 許 可 し , 91 年 9 月 に は バ チ カ ン と 外 交 関 係 を 復 活 , 同 年 10 月 に は 教 会 資 産 の 返 還 を 決 定 し た 。 教 会 や モ ス ク も 再 建 さ れ つ つ あ る 。 し か し , 約 半 世 紀 に も 及 ぶ 反 宗 教 教 育 の 結 果 , 無 宗 教 者 の 割 合 も か な り の 比 重 を 持 つ と 推 定 さ れ る 。
歴 史
現 代 の ア ル バ ニ ア の 地 に は 前 7 世 紀 に ケ ル ト 人 が 居 住 し て い た が , そ の 後 , 今 日 の ア ル バ ニ ア 人 の 祖 先 と 考 え ら れ て い る イ リ ュ ア ・ ト ラ キ ア 人 が こ の 地 に 南 下 し , 自 治 都 市 か ら な る 国 を 築 い た が , 前 4 世 紀 に マ ケ ド ニ ア , 前 3 世 紀 こ ろ か ら ロ ー マ に よ る 支 配 を 受 け , ロ ー マ 滅 亡 ま で そ の 一 属 州 と し て 存 続 し た 。 後 6 ~ 8 世 紀 の ス ラ ブ 人 の 南 下 に よ り , ア ル バ ニ ア 語 を 話 す 地 域 が 大 幅 に 縮 小 し て い っ た も の と 考 え ら れ る 。 9 世 紀 の 初 め に , ビ ザ ン テ ィ ン 帝 国 の テ マ ︵ 属 州 ︶ が 施 か れ , 以 後 ビ ザ ン テ ィ ン 帝 国 や ブ ル ガ リ ア 王 国 の 侵 入 , 支 配 が 繰 り 返 さ れ た 。 ア ル バ ニ ア と い う 名 称 は 11 世 紀 の ビ ザ ン テ ィ ン の 文 献 に 現 れ る が , ア ル バ ニ ア 人 た ち は こ の 名 称 を 用 い ず , ︿ 鷲 ﹀ を 意 味 す る s h q i p を 自 分 た ち の 民 族 名 と し て い る 。 13 世 紀 末 に セ ル ビ ア 人 に よ っ て 一 部 を 占 領 さ れ , 14 世 紀 前 半 に は ス テ フ ァ ン ・ ド ゥ シ ャ ン の セ ル ビ ア 王 国 に 併 合 さ れ た 。 こ の 時 期 に 多 く の ア ル バ ニ ア 人 は ギ リ シ ア へ 移 住 し , 都 市 に は ベ ネ チ ア の 影 響 が 強 ま っ た 。 14 世 紀 の 後 半 か ら バ ル カ ン 半 島 へ オ ス マ ン ・ ト ル コ が 侵 入 し , ア ル バ ニ ア の 封 建 諸 侯 も 次 々 に 降 伏 し て , 主 要 都 市 に は オ ス マ ン ・ ト ル コ の 守 備 隊 が 置 か れ た 。 15 世 紀 の 前 半 , 中 部 ア ル バ ニ ア の 出 身 で オ ス マ ン ・ ト ル コ 軍 人 と し て 有 名 で あ っ た ス カ ン デ ル ベ グ が オ ス マ ン 帝 国 に 対 す る ア ル バ ニ ア 独 立 の 旗 を か か げ , ク ル ヤ の 城 塞 を 拠 点 と し て 戦 っ た 。 1 4 4 3 - 6 8 年 の 間 オ ス マ ン 帝 国 は 毎 年 の よ う に 大 軍 を 派 遣 し た が , そ の た び に 敗 北 し , や っ と ス カ ン デ ル ベ グ の 死 ︵ 1 4 6 8 ︶ 後 , 封 建 諸 侯 の 内 紛 に 乗 じ て , 再 征 服 に 成 功 し た 。 ス カ ン デ ル ベ グ は 今 日 も 民 族 的 英 雄 と し て 国 民 の 崇 敬 を 集 め て い る 。 オ ス マ ン 帝 国 支 配 下 で 国 土 は 荒 廃 し , 多 く の ア ル バ ニ ア 人 が 南 イ タ リ ア , シ チ リ ア に 逃 れ , 国 内 の 地 主 階 級 の 多 く は イ ス ラ ム に 改 宗 し , 国 民 の 2 / 3 が ム ス リ ム と な っ た 。 ま た 剽 悍 ︵ ひ よ う か ん ︶ な 山 岳 民 で あ る こ と か ら , オ ス マ ン 帝 国 の 傭 兵 と し て 活 躍 し た 。 19 世 紀 に オ ス マ ン 帝 国 が 弱 体 化 す る に つ れ て , 各 地 の 豪 族 の 独 立 化 傾 向 と 民 衆 の 反 乱 が 民 族 独 立 運 動 の 発 展 を 促 進 し た 。 1 8 7 8 年 の ベ ル リ ン 会 議 で 国 土 の 一 部 が モ ン テ ネ グ ロ に 割 譲 さ れ た と き に , ア ル バ ニ ア 人 は プ リ ズ レ ン 同 盟 を 結 成 し , 独 立 運 動 は 活 発 に な っ た 。 1 9 1 2 年 の バ ル カ ン 戦 争 の 際 , 近 隣 の 諸 国 は ア ル バ ニ ア の 国 土 分 割 を め ざ し て 軍 隊 を 侵 入 さ せ た が , 民 族 独 立 運 動 の 高 ま り と 列 強 の 利 害 の 対 立 の 結 果 , 12 年 12 月 の ロ ン ド ン 会 議 で ア ル バ ニ ア の 独 立 が 正 式 に 承 認 さ れ た 。 し か し , 第 1 次 大 戦 中 は 隣 接 国 の 軍 隊 に 国 土 が 占 領 さ れ , 国 土 は 戦 場 と な っ た 。 第 1 次 大 戦 後 独 立 が 再 確 認 さ れ , 20 年 テ ィ ラ ナ が 臨 時 首 都 と な り , ア ル バ ニ ア は 国 際 連 盟 に 加 入 し た 。 21 年 か ら 24 年 に か け て , 進 歩 的 な 知 識 人 に よ る 民 主 政 府 樹 立 の 試 み が 繰 り 返 さ れ , 24 年 に F . ノ リ の 政 府 が 成 立 し た が , ア フ メ ト ・ ゾ グ の ク ー デ タ に よ っ て 打 倒 さ れ , 28 年 に は ゾ グ は 王 制 を 宣 言 し た 。 ゾ グ は イ タ リ ア の 援 助 を 受 け て 独 裁 政 治 を 行 い , 国 民 の 不 満 は 高 ま る 一 方 で あ っ た 。 39 年 イ タ リ ア は ア ル バ ニ ア を 軍 事 占 領 し , 植 民 地 と し た 。 4 0 - 4 1 年 に , ア ル バ ニ ア の 民 族 主 義 者 , 共 産 主 義 者 の 抵 抗 運 動 が 始 め ら れ , そ れ は , イ タ リ ア 軍 , の ち に ド イ ツ 軍 に 対 す る 全 国 民 的 武 装 闘 争 へ と 発 展 し , そ の 運 動 の 母 体 ︿ 国 民 解 放 運 動 ﹀ が 中 心 的 政 治 勢 力 と な っ た 。 44 年 秋 に 全 土 が 解 放 さ れ , エ ン ベ ル ・ ホ ジ ャ E n v e r H o x h a ︵ 1 9 0 8 - 8 5 ︶ を 首 班 と す る 社 会 主 義 政 権 が 成 立 し た 。 48 年 ま で ア ル バ ニ ア は ユ ー ゴ ス ラ ビ ア か ら の 援 助 で 経 済 発 展 の 道 に 踏 み 出 し た が , コ ミ ン フ ォ ル ム 問 題 で 両 者 の 関 係 は 断 絶 し , 経 済 は 61 年 ま で ソ 連 の 援 助 に よ る と こ ろ が 大 き か っ た 。 し か し , 中 ソ 対 立 を め ぐ っ て , ソ 連 と の 関 係 が 悪 化 し , 61 年 両 者 の 関 係 も 途 絶 し た 。 1 9 6 0 年 代 に は 中 国 と の 関 係 が 密 接 で あ っ た が , 78 年 に は 両 者 の 関 係 も 絶 た れ , ア ル バ ニ ア は 東 欧 の 孤 児 と し て , イ タ リ ア そ の 他 資 本 主 義 国 と の 経 済 関 係 の 発 展 を 模 索 中 で あ る 。
政 治
1 9 7 6 年 12 月 の 人 民 議 会 採 択 の 新 憲 法 で , ア ル バ ニ ア は ︿ 社 会 主 義 人 民 共 和 国 ﹀ と 規 定 さ れ , 1 9 4 6 年 制 定 の 旧 人 民 共 和 国 憲 法 は 廃 止 さ れ た 。 人 民 議 会 が 国 家 権 力 の 最 高 機 関 で 一 院 制 ︵ 定 員 2 5 0 人 , 任 期 4 年 ︶ 。 人 民 議 会 幹 部 会 議 長 が 国 の 元 首 。 政 党 は 労 働 党 ︵ 1 9 4 1 年 創 立 , 48 年 ま で 共 産 党 と 呼 ば れ た ︶ が 唯 一 の 政 党 で , 党 員 数 は 約 10 万 人 。 第 一 書 記 エ ン ベ ル ・ ホ ジ ャ が 実 権 を 握 り , そ の 補 佐 役 で ず っ と 首 相 の 地 位 に あ っ た メ フ メ ト ・ シ ェ フ は 81 年 12 月 射 殺 さ れ た と い わ れ る 。
1 9 6 8 年 に ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 か ら 脱 退 し , コ メ コ ン の 行 動 に も 参 加 し て い な い 。 国 連 に は 1 9 5 5 年 に 加 盟 。 近 年 は , オ ー ス ト リ ア , フ ラ ン ス , イ タ リ ア へ の 接 近 を 示 し , 日 本 と は 81 年 3 月 に 国 交 を 樹 立 し た 。 義 務 兵 役 制 で 全 兵 力 4 万 3 0 0 0 人 , そ の ほ か に 民 兵 , 国 内 治 安 部 隊 な ど が あ る 。 1 9 6 6 年 に 軍 隊 の 階 級 制 度 が 廃 止 さ れ た 。
経 済 , 産 業
第 2 次 世 界 大 戦 前 の ア ル バ ニ ア は ヨ ー ロ ッ パ で も も っ と も 遅 れ た 農 業 国 で あ っ た 。 戦 後 は 1 9 4 8 年 ま で ユ ー ゴ ス ラ ビ ア , 4 8 - 6 0 年 ソ 連 , 6 1 - 7 8 年 中 国 な ど の 経 済 援 助 に よ り , 工 業 化 を 推 進 し , 国 民 総 生 産 の 半 分 を 工 業 が 占 め る よ う に な っ て い る 。 1 9 5 1 年 以 降 五 ヵ 年 計 画 を 実 施 し , 現 在 第 7 次 計 画 ︵ 1 9 8 1 - 8 5 ︶ に 入 っ て い る 。 第 6 次 計 画 は , 国 民 所 得 の 成 長 率 が 3 8 % , 工 業 生 産 は 4 1 % で あ っ た 。 国 連 推 計 に よ る と , 78 年 度 の 生 産 高 は ク ロ ム 鉱 39 万 t , 原 油 2 8 0 万 t , ニ ッ ケ ル 鉱 8 0 0 0 t , 銅 1 万 1 5 0 0 t で あ っ た 。 戦 後 に 発 展 し た 主 要 な 工 業 部 門 は , 食 品 , 繊 維 , 皮 革 , 木 材 加 工 , セ メ ン ト な ど で あ り , 農 村 の 電 化 は 1 9 7 0 年 代 に 完 成 し た 。
第 2 次 大 戦 後 の 投 資 の か な り の 部 分 が 農 業 に ふ り 向 け ら れ , 干 拓 事 業 に よ り 農 地 が 拡 大 さ れ , 食 糧 自 給 の 目 標 が 達 成 さ れ た 。 72 年 度 で の 耕 地 面 積 は 1 2 3 万 ha , 牧 草 地 63 万 ha で , 灌 漑 面 積 も 拡 大 さ れ つ つ あ る 。 農 業 の 機 械 化 も 進 み , 1 万 1 0 0 0 台 の ト ラ ク タ ー が 稼 動 し て い る 。 主 要 な 農 業 生 産 物 は 小 麦 , ト ウ モ ロ コ シ , 綿 花 , タ バ コ , ビ ー ト な ど で , 79 年 度 の 穀 物 生 産 高 は 約 76 万 t で あ っ た 。 耕 地 の 8 0 % が 国 有 化 さ れ , 1 8 % が 協 同 組 合 所 有 と な っ て い る 。 畜 産 は 農 産 物 生 産 高 の 約 4 0 % を 占 め , 羊 1 7 0 万 頭 , ヤ ギ 1 2 0 万 頭 , 牛 43 万 頭 が 飼 育 さ れ て い る 。 果 樹 栽 培 の 中 心 は オ リ ー ブ , ブ ド ウ で あ る 。 山 林 は 国 土 の 4 3 % を 占 め , カ シ , ブ ナ , マ ツ そ の 他 が 重 要 な 木 材 資 源 と な っ て い る 。 ア ド リ ア 海 沿 岸 , シ ュ コ ダ ル 湖 で は 漁 業 が 盛 ん で あ る 。
戦 後 , 貿 易 の 構 造 は 対 外 政 策 を 反 映 し て 変 動 が は げ し か っ た 。 1 9 7 8 年 段 階 で は 西 側 と の 貿 易 が 全 体 の 3 0 % , 対 東 欧 約 2 0 % , 対 中 国 5 0 % で あ っ た が , 中 国 側 の 援 助 停 止 で , 現 在 は イ タ リ ア , 西 ド イ ツ , ユ ー ゴ ス ラ ビ ア へ の 依 存 度 が 高 ま っ て い る 。 主 要 輸 出 品 は 石 油 , 石 炭 , 銅 ・ ク ロ ム 鉱 な ど 。 輸 入 品 は 建 設 用 施 設 , 農 機 具 , 車 両 , 機 械 。 日 本 と の 貿 易 量 は 総 額 で 1 9 7 7 年 4 6 9 万 ド ル , 78 年 2 3 8 万 ド ル , 79 年 6 5 8 万 ド ル で あ っ た 。 日 本 側 輸 入 の 大 半 が ク ロ ム 鉱 で あ る 。 第 2 次 大 戦 後 鉄 道 が は じ め て 建 設 さ れ , テ ィ ラ ナ ~ ド ゥ ラ ス ~ エ ル バ サ ン 線 が で き た 。 営 業 キ ロ 数 は 2 0 1 k m 。 国 内 の 主 要 な 交 通 手 段 は 道 路 網 で , 首 都 テ ィ ラ ナ と 近 隣 諸 国 の 首 都 は 空 路 で 結 ば れ て い る 。
社 会 ・ 文 化
第 2 次 世 界 大 戦 前 は ア ル バ ニ ア 人 の 7 0 % が イ ス ラ ム 教 徒 , 北 部 に カ ト リ ッ ク 教 徒 ︵ 1 2 % ︶ , 南 部 に ギ リ シ ア 正 教 徒 ︵ 1 1 % ︶ と い う 宗 教 分 布 で あ っ た が , 67 年 政 府 は 2 0 0 0 以 上 の モ ス ク と 教 会 の す べ て を 閉 鎖 し , 無 神 国 家 を 宣 言 し た 。
ア ル バ ニ ア 語 は イ ン ド ・ ヨ ー ロ ッ パ 語 族 に 属 す る が , 国 の 複 雑 な 歴 史 を 反 映 し , ギ リ シ ア 語 , ラ テ ン ・ ロ マ ン ス 系 の 諸 語 , ト ル コ 語 な ど か ら の 借 用 語 が 多 い 。 北 方 の ゲ グ 方 言 と , 中 央 ・ 南 方 の ト ス ク 方 言 に 分 か れ , 今 日 の 標 準 語 は 1 9 4 5 年 以 来 ト ス ク 方 言 が 基 礎 に な っ て い る 。 現 存 の ア ル バ ニ ア 語 最 古 の 文 献 は , 1 4 6 2 年 の ︿ 洗 礼 信 条 ﹀ で あ る 。 こ の 時 代 の 多 く の 文 献 は オ ス マ ン ・ ト ル コ と の 戦 争 の 時 期 に 焼 失 し た 。 1 5 5 5 年 に は 最 初 の 印 刷 物 , 司 祭 ブ ズ ク G j o n B u z u k u に よ る ︽ ミ サ 典 礼 書 ︾ が 発 行 さ れ た 。 17 世 紀 に は , 北 の シ ュ コ ダ ル で カ ト リ ッ ク 系 の 文 献 , 南 の ボ ス コ ポ リ エ で は ギ リ シ ア 正 教 系 の 文 献 の 出 版 活 動 が 盛 ん で あ っ た 。 15 ~ 16 世 紀 に 南 イ タ リ ア , シ チ リ ア に 移 住 し た い わ ゆ る ア ル バ レ シ ュ 人 の 間 で は 独 自 の 文 学 が 発 達 し , 19 世 紀 の 詩 人 デ ・ ラ ダ D e R a d a ︵ 1 8 1 4 - 1 9 0 3 ︶ の 活 動 は そ の 頂 点 を な す も の で あ っ た 。 ア ル バ ニ ア 本 国 で は 文 語 確 立 の た め に 努 力 し た ク リ ス ト フ ォ リ ジ ︵ 1 8 2 4 - 9 5 ︶ の あ と を 受 け て , ア ル バ ニ ア 最 大 の 国 民 詩 人 N . フ ラ シ ャ リ が 近 代 文 学 と 文 語 を 確 立 し た 。 20 世 紀 に は グ ラ メ ノ M i h a l G r a m e n o ︵ 1 8 7 2 - 1 9 3 1 ︶ , ポ ス ト リ F o q i o n P o s t o l i ︵ 1 8 8 9 - 1 9 2 7 ︶ , ミ ギ エ ニ , F . ノ リ ら に よ っ て 新 時 代 の 文 学 が 推 進 さ れ , 第 2 次 大 戦 後 は 抵 抗 運 動 を 主 題 と し た も の が 多 く , ム サ ラ イ S h e f q e t M u s a r a j ︵ 1 9 1 4 - ︶ , ギ ャ タ F a t m i r G j a t a ︵ 1 9 2 2 - 8 9 ︶ シ ュ テ リ チ D h i m i t ë r S h u t e r i q i ︵ 1 9 1 5 - ︶ , ペ ト ロ ・ マ ル コ P e t r o M a r k o ︵ 1 9 1 3 - ︶ ら が 活 躍 し て い る 。
ア ル バ ニ ア の 沿 岸 部 に は 古 代 の ギ リ シ ア , ロ ー マ 時 代 の 遺 跡 が 多 く , 中 世 の 建 築 と し て 独 特 な 様 式 の モ ス ク が 各 地 に 残 さ れ て い る 。 戦 後 の 美 術 界 で は 彫 刻 家 の ニ コ ラ , 画 家 の コ ド ラ , イ タ リ ア で 活 躍 す る デ リ ジ ャ が 有 名 。 第 2 次 大 戦 前 の 劇 作 家 で は フ ィ エ シ ュ タ ︵ 1 8 7 1 - 1 9 4 0 ︶ が 有 名 で , 戦 後 は ︽ わ が 大 地 ︾ の 作 者 ヤ コ バ K o l ë J a k o v a な ど が 活 躍 し て い る 。 映 画 は 戦 後 に な っ て は じ め て 制 作 さ れ る よ う に な っ た が , ほ と ん ど が ソ 連 と の 合 作 で あ っ た 。 ト ル コ や ア ラ ブ の 影 響 が 強 く 感 じ ら れ る 民 族 音 楽 , 舞 踊 は 農 村 部 , 都 市 部 を と わ ず 盛 ん で , 南 の ギ ロ カ ス タ ル で は 毎 年 フ ェ ス テ ィ バ ル が 開 か れ て い る 。 芸 術 音 楽 の 中 心 は テ ィ ラ ナ で , オ ペ ラ の 作 曲 , 演 奏 活 動 な ど も 発 達 し つ つ あ る 。 戦 前 , ア ル バ ニ ア の 文 盲 率 は 8 0 % で あ っ た が , 現 在 は 8 年 制 の 義 務 教 育 が 完 全 に 実 施 さ れ て い る 。 中 等 教 育 も 普 及 し て お り , テ ィ ラ ナ に は 総 合 大 学 , 芸 術 , 農 業 の 単 科 大 学 が あ る 。 新 聞 は 労 働 党 の 機 関 紙 ︽ 人 民 の 声 ︾ そ の 他 が あ る 。
執 筆 者 ‥ 直 野 敦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
アルバニア
◎ 正 式 名 称 − ア ル バ ニ ア 共 和 国 R e p u b l i c o f A l b a n i a 。 ◎ 面 積 − 2 万 8 7 0 3 k m 2 。 ◎ 人 口 − 2 7 9 万 人 ︵ 2 0 1 3 ︶ 。 ◎ 首 都 − テ ィ ラ ナ ︵ 42 万 人 , 2 0 1 1 ︶ 。 ◎ 住 民 − ア ル バ ニ ア 人 。 ◎ 宗 教 − イ ス ラ ム 70 % 。 ◎ 言 語 − ア ル バ ニ ア 語 ︵ 公 用 語 ︶ 。 ◎ 通 貨 − レ ク L e k 。 ◎ 元 首 − 大 統 領 , ブ ヤ ー ル ・ ニ シ ャ ニ B u j a r N i s h a n i ︵ 1 9 6 6 年 生 れ , 2 0 1 2 年 7 月 就 任 , 任 期 5 年 ︶ 。 ◎ 首 相 − エ デ ィ ・ ラ マ E d i R a m a ︵ 2 0 1 3 年 9 月 就 任 ︶ 。 ◎ 憲 法 − 1 9 9 8 年 11 月 国 民 投 票 で 承 認 。 ◎ 国 会 − 一 院 制 ︵ 定 員 1 4 0 , 任 期 4 年 ︶ 。 最 近 の 選 挙 は 2 0 1 4 年 6 月 。 ◎ G D P − 1 2 3 億 ド ル ︵ 2 0 0 8 ︶ 。 ◎ 1 人 当 り G N I − 2 9 6 0 ド ル ︵ 2 0 0 6 ︶ 。 ◎ 農 林 ・ 漁 業 就 業 者 比 率 − 5 0 % ︵ 1 9 9 7 ︶ 。 ◎ 平 均 寿 命 − 男 7 3 . 4 歳 , 女 7 9 . 8 歳 ︵ 2 0 0 7 ︶ 。 ◎ 乳 児 死 亡 率 − 1 6 ‰ ︵ 2 0 1 0 ︶ 。 ◎ 識 字 率 − 9 5 . 9 % ︵ 2 0 0 8 ︶ 。 * * ヨ ー ロ ッ パ 南 東 部 , バ ル カ ン 半 島 南 西 部 の 共 和 国 。 シ ュ キ ペ リ ヤ ︵ 鷲 の 国 ︶ と 自 称 。 大 部 分 が 山 地 で , 西 部 の ア ド リ ア 海 岸 に 狭 い 平 野 が あ る 。 南 東 部 は ピ ン ド ス 山 脈 の 延 長 部 。 地 中 海 式 気 候 。 住 民 の 97 % は イ リ ュ リ ア 族 系 統 の ア ル バ ニ ア 人 で ア ル バ ニ ア 語 を 話 し , 約 70 % が イ ス ラ ム 教 徒 , 約 10 % が ギ リ シ ア 正 教 徒 と カ ト リ ッ ク 教 徒 。 牧 畜 , 農 業 が 行 わ れ , 小 麦 , ト ウ モ ロ コ シ , テ ン サ イ が 主 産 物 。 1 9 5 1 年 以 来 数 次 の 五 ヵ 年 計 画 に よ り 急 速 に 工 業 化 。 石 油 , ク ロ ム 鉱 , 銅 な ど の 資 源 開 発 も 進 み , 繊 維 , セ メ ン ト , タ バ コ , 製 油 , 製 鉄 工 業 が 行 わ れ る 。 国 権 の 最 高 機 関 は 一 院 制 の 議 会 で , 議 会 で 選 ば れ る 大 統 領 が 元 首 。 な お , 隣 接 す る コ ソ ボ の 住 民 の 80 % 余 は ア ル バ ニ ア 系 で あ る 。 4 世 紀 末 ビ ザ ン テ ィ ン 帝 国 の 支 配 下 に は い り , 1 4 6 8 年 以 降 オ ス マ ン 帝 国 ︵ ト ル コ ︶ の 支 配 を う け た 。 1 9 1 2 年 バ ル カ ン 戦 争 を き っ か け に 独 立 宣 言 , 1 9 2 1 年 共 和 国 , 1 9 2 8 年 か ら イ タ リ ア 軍 に 占 領 さ れ る 1 9 3 9 年 ま で 王 国 。 1 9 4 4 年 ソ 連 軍 に よ っ て 解 放 さ れ , 1 9 4 6 年 人 民 共 和 国 を 宣 言 。 フ ル シ チ ョ フ の ア ル バ ニ ア 批 判 ︵ 1 9 6 1 年 ︶ 以 来 ホ ッ ジ ャ 政 権 は ソ 連 と の 関 係 を 断 ち , 親 中 国 政 策 を 取 っ て き た が , 1 9 7 6 年 の 毛 沢 東 の 死 , 中 国 の 近 代 化 , 四 人 組 追 放 と 対 米 接 近 な ど で 1 9 7 8 年 に は 中 国 と も 断 交 状 態 に な っ た 。 1 9 9 0 年 労 働 党 ︵ 現 , 社 会 党 ︶ の 一 党 独 裁 制 が 廃 さ れ , 1 9 9 1 年 の 新 憲 法 で 社 会 主 義 と 決 別 し た 。 1 9 9 2 年 , 1 9 9 6 年 の 総 選 挙 で は 民 主 党 が 社 会 党 に 勝 利 し た 。 市 場 経 済 へ の 移 行 過 程 で ね ず み 講 式 の 投 資 組 織 が 浸 透 し て い た が , 1 9 9 7 年 1 月 以 降 そ の 被 害 者 ら の 抗 議 行 動 が 各 地 で 反 政 府 暴 動 に 発 展 し た 。 事 態 収 拾 の た め 1 9 9 7 年 6 月 に 行 わ れ た 総 選 挙 で は , 社 会 党 が 大 勝 , 政 権 に 復 帰 。 2 0 0 5 年 の 総 選 挙 で は , 民 主 党 な ど 野 党 連 合 が 勝 利 し , 8 年 ぶ り の 政 権 交 代 が 実 現 。 2 0 0 7 年 の 大 統 領 選 挙 で は , 民 主 党 副 党 首 の ト ピ が 選 出 さ れ た 。 2 0 1 2 年 の 大 統 領 選 挙 で は , 与 党 民 主 党 の ニ シ ャ ニ が 大 統 領 に 就 任 。 2 0 0 0 年 7 月 世 界 貿 易 機 関 ︵ W T O ︶ 加 盟 。 2 0 0 9 年 4 月 , N A T O に 正 式 加 盟 。
→ 関 連 項 目 ア ル バ ニ ア 労 働 党 | ベ ラ ッ ト と ギ ロ カ ス ト ラ の 歴 史 地 区
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アルバニア Albania
正 式 名 称 ア ル バ ニ ア 共 和 国 R e p u b l i k a e S h q i p ë r i s ë 。
面 積 2 万 8 7 0 3 k m 2 。
人 口 2 8 2 万 2 0 0 0 ︵ 2 0 2 1 推 計 ︶ 。
首 都 テ ィ ラ ナ 。
ヨ ー ロ ッ パ 南 東 部 , バ ル カ ン 半 島 の 西 部 に あ る 国 。 西 は ア ド リ ア 海 に 臨 み , 北 は モ ン テ ネ グ ロ , コ ソ ボ , 東 は 北 マ ケ ド ニ ア , 南 は ギ リ シ ア と 接 す る 。 国 土 は 西 部 の 海 岸 低 地 帯 , 中 部 の 高 原 地 帯 , 東 部 の 山 岳 地 帯 の , い ず れ も 南 北 に 細 長 い 三 つ の 地 帯 に 大 別 さ れ る 。 気 候 は 一 般 に 冬 は 温 暖 で 夏 は 暑 い が , 山 岳 地 帯 に は 内 陸 性 気 候 の 影 響 が み ら れ る 。 住 民 は イ リ ュ リ ア 人 の 系 統 を ひ く ア ル バ ニ ア 人 , 公 用 語 は イ ン ド = ヨ ー ロ ッ パ 語 族 に 属 す る ア ル バ ニ ア 語 で , 北 部 の ゲ グ 方 言 と 南 部 の ト ス ク 方 言 が あ る が , 現 在 の ア ル バ ニ ア 語 は ト ス ク 方 言 が 共 通 語 と な っ て い る 。 初 め バ ル カ ン 半 島 北 西 部 は イ リ ュ リ ア 人 の 土 地 で あ っ た が , 前 2 世 紀 に ロ ー マ 帝 国 の 領 土 と な り , 以 後 , ビ ザ ン チ ン 帝 国 , オ ス マ ン 帝 国 お よ び 周 辺 諸 国 な ど の 支 配 と 侵 略 を 受 け た 。 1 9 1 2 年 ヨ ー ロ ッ パ 列 強 の 支 持 に よ り 独 立 。 第 1 次 世 界 大 戦 中 は 一 時 イ タ リ ア の 勢 力 下 に 入 っ た が , 1 9 2 1 年 共 和 国 。 1 9 2 8 年 か ら 王 制 を し い た が , 1 9 3 9 年 イ タ リ ア に 武 力 統 合 さ れ た 。 第 2 次 世 界 大 戦 後 , 解 放 さ れ て 社 会 主 義 国 と な り , 1 9 5 0 年 代 は ス タ ー リ ン 主 義 に 基 づ く 政 府 を 保 持 。 1 9 6 1 年 か ら は ソ ビ エ ト 連 邦 と の 関 係 が 悪 化 , 以 後 , 中 国 寄 り の 政 治 路 線 を 歩 ん だ が , 1 9 7 7 年 か ら は そ の 路 線 か ら も 離 れ , 事 実 上 の 鎖 国 政 策 を 維 持 し た 。 1 9 8 8 年 か ら 各 国 と の 関 係 を 修 復 。 解 放 以 来 一 党 支 配 を 続 け て き た ア ル バ ニ ア 労 働 党 ︵ 現 ア ル バ ニ ア 社 会 党 ︶ は , 1 9 9 0 年 複 数 政 党 制 導 入 を 発 表 し , 1 9 9 1 年 国 名 を ア ル バ ニ ア 人 民 社 会 主 義 共 和 国 か ら 現 国 名 に 変 更 し た が , 1 9 9 2 年 の 総 選 挙 で ア ル バ ニ ア 民 主 党 に 敗 れ , 社 会 主 義 体 制 が 崩 壊 し た 。 農 牧 国 で , ト ウ モ ロ コ シ , コ ム ギ , ジ ャ ガ イ モ , ワ タ , タ バ コ , サ ト ウ ダ イ コ ン な ど を 栽 培 。 ク ロ ム 鉱 , 銅 鉱 , リ ン 鉱 , 石 油 , 天 然 ガ ス な ど 鉱 産 資 源 に 恵 ま れ て い る が , 開 発 は 遅 れ て い る 。 中 央 計 画 経 済 の も と で 工 業 化 に 力 を 注 い で き た が , 原 材 料 不 足 で 低 迷 。 1 9 9 0 年 以 降 , 経 済 改 革 に よ り 農 地 の 個 人 所 有 , 工 場 の 民 営 化 が 進 め ら れ た 。 オ リ ー ブ 油 な ど の 農 産 加 工 , 衣 料 , 石 油 精 製 , セ メ ン ト な ど の 工 業 が あ る 。 ︵ → ア ル バ ニ ア 史 ︶
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アルバニア Albania
バルカン半島南西部の共和国。首都ティラナ 【古代〜近代】アルバニア人の祖先は,インド−ヨーロッパ語系の古代イリリア人といわれる。前5世紀に部族連合のイリリア王国が形成されるが,前167年ローマ人に滅ぼされ,支配される。4世紀末のローマ帝国の分裂後,東ローマ(ビザンツ)帝国の一部とされ,その後,セルビア・ブルガリアの支配を受け,14世紀末からオスマン朝の支配下にはいる。その支配のもと住民の3分の2がイスラームに改宗。 【独立とその後】独立運動が高まる中,1912年の第1次バルカン戦争の際,オーストリアの支援で独立を宣言し,翌年,独立を達成。第一次世界大戦中はギリシアとイタリアに占領されたが,1917年に独立を回復。1925年共和国となるが,翌26年ティラナ条約でイタリアの保護国となる。1928年王政となるが,39年4月イタリアが一方的に併合。第二次世界大戦中,一時ドイツに占領されたが,1944年国民解放運動が中心となり全土を解放。1946年,エンベル=ホッジャを首班とするアルバニア人民共和国が成立し,ソ連と同盟を結び新憲法を制定。以後,実質上はホッジャによるスターリン主義的独裁化が進められる。中ソ対立が進行する中,1961年ソ連を修正主義と批判して国交を断絶。以後,中国とは友好関係を維持する中,1964年国名を社会主義人民共和国と改称し,65年にはワルシャワ条約機構から脱退。しかし,1970年代にはいって米中接近が始まるとそれを批判し,78年中国とも国交を断絶し,鎖国政策を採用。1985年,長年独裁体制をしいてきたホッジャが死去,アリア政権となるが,その政権下でも「純粋社会主義」の堅持を表明。1988年になると中国と関係改善に合意し,同年7月にはソ連と国交正常化を行い,国際社会復帰に向けて開放化を進めた。1989年の東欧民主革命の影響がアルバニアにもおよび,90年ティラナで民主化要求デモが起こり,同年12月労働党(共産党に該当)が一党独裁放棄と複数政党制導入,さらに非スターリン化を公式に決定。1991年,アメリカと国交を回復,さらに自由投票による総選挙で労働党(6月社会党と改称)が勝利,4月大統領制に移行し,国名をアルバニア共和国に改称。同年5月には市場経済への段階的移行を発表。1992年の総選挙では民主党が圧勝。このころからセルビア共和国コソヴォ自治州の多数を占めるアルバニア人の扱いをめぐって新ユーゴスラヴィア政府を非難。1997年に「ねずみ講」の破綻を機に全土で暴動が発生し,6月の総選挙で社会党が圧勝。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
アルバニア Shqipëri[アルバニア],Albania[英]
バ ル カ ン 半 島 の 南 西 部 に 位 置 す る 共 和 国 。 首 都 は テ ィ ラ ナ 。 ア ル バ ニ ア 人 は バ ル カ ン の 先 住 民 イ リ リ ア 人 の 子 孫 と 考 え ら れ る 。 6 世 紀 後 半 , 南 ス ラ ヴ 族 の バ ル カ ン 進 出 に 伴 い , 山 岳 地 に 追 わ れ て 現 在 の 地 域 に 定 住 。 ビ ザ ン ツ 帝 国 , ブ ル ガ リ ア 帝 国 , 中 世 セ ル ビ ア 王 国 の 支 配 を 受 け , み ず か ら の 国 家 を 築 け な か っ た 。 15 世 紀 前 半 に オ ス マ ン 帝 国 の 支 配 下 に 置 か れ た が , ス カ ン デ ル ベ グ が オ ス マ ン 軍 に 果 敢 に 抵 抗 。 ス カ ン デ ル ベ グ は 近 現 代 に 至 る と , 民 族 の 英 雄 と し て ア ル バ ニ ア 民 族 主 義 の 基 礎 に す え ら れ た 。 19 世 紀 後 半 , ア ル バ ニ ア 人 居 住 地 は オ ス マ ン 帝 国 の 行 政 上 , 4 州 に 区 分 さ れ て い た だ け で な く , 北 部 の ゲ グ 族 と 南 部 の ト ス ク 族 と に 分 断 さ れ て い た が , よ う や く 民 族 運 動 が 進 展 。 1 8 7 8 年 に 南 部 の 豪 族 ア ブ ド ゥ ル ・ フ ラ シ ャ リ の 呼 び か け で プ リ ズ レ ン 連 盟 が 結 成 さ れ , ア ル バ ニ ア 人 居 住 地 域 の 統 一 と 自 治 が 初 め て 掲 げ ら れ た 。 1 9 1 2 年 , 第 1 次 バ ル カ ン 戦 争 の さ な か に ア ル バ ニ ア の 独 立 が 宣 言 さ れ , 翌 年 5 月 に 国 際 的 に 承 認 さ れ た 。 20 年 に ﹁ 再 独 立 ﹂ を 認 め ら れ , 28 年 に は ゾ グ を 国 王 と す る 立 憲 君 主 国 と な っ た 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 , ホ ジ ャ の も と で 硬 直 し た ス タ ー リ ン 主 義 の 社 会 主 義 国 と な り , 67 年 か ら ﹁ 無 宗 教 国 家 ﹂ と な っ た 。 78 年 か ら は ﹁ 鎖 国 政 策 ﹂ の 道 を 選 択 。 89 年 の 東 欧 革 命 の 影 響 が 及 ぶ の は お そ く , 92 年 に 体 制 転 換 が 完 了 し た が , 不 安 定 な 政 情 が 続 い た 。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報