イスラム教(読み)イスラムキョウ

デジタル大辞泉 「イスラム教」の意味・読み・例文・類語

イスラム‐きょう〔‐ケウ〕【イスラム教】

 
︿al-Islām7使77()()  

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精選版 日本国語大辞典 「イスラム教」の意味・読み・例文・類語

イスラム‐きょう‥ケウ【イスラム教】

  1. 〘 名詞 〙 七世紀前半、アラビア半島の西部、ヒジャーズ地方のメッカの人マホメットが、メッカ郊外のヒラー山中の洞窟でアラーの啓示を受けたことにより始まった宗教。啓示を集録したコーランを教典とする。教義の内容は信仰(イーマーン)と義務(イバーダード)に分けられ、前者はアラーを唯一全能の神と信ずること、天使の存在、啓示の真実、預言者の正統性、終末と来世の存在、最後の審判を信ずることであり、後者はイスラム教の五柱と呼ばれる信仰告白、礼拝、断食、救貧税、メッカへの巡礼の五つの義務を守ることである。偶像崇拝を認めない。預言者マホメットの死後もハリーファ(カリフ=預言者の代理者の意)たちにより布教活動が続けられ、死後一〇〇年ほどの間に世界宗教となった。現在では、西南アジア、北アフリカ、東アフリカ、インド、中央アジア、東南アジア等に広まる。回教。マホメット教。フイフイ教。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスラム教」の意味・わかりやすい解説

イスラム教
いすらむきょう


西7()()53islām()muslim196633600053000西3000西720060006000145001300015005006095000


起源と背景

ジャーヒリーヤ時代

Jāhilīya1殿()3

 西70殿沿沿murū'a570


ムハンマドの出現

25()61040()()622630632


教義と実践


 イスラム教は、ユダヤ教、キリスト教の歴史を、ムハンマドが現れるまでの前史とみなしており、イスラムの教義や実践のなかにはこれらの宗教と共通のものが多い。その基本は「六信(ろくしん)、五柱(ごちゅう)(五行)」としてまとめられている。「六信」とは、(1)神、(2)天使、(3)聖典、(4)預言者、(5)来世、(6)予定という六つの信仰箇条のことである。「五柱」とは、(1)信仰告白、(2)礼拝、(3)ザカート(喜捨(きしゃ))、(4)断食(だんじき)、(5)巡礼の五つの主要義務をさす。

[中村廣治郎]

六信

(1) 調()21634211()調()5016()1725()

(2)使malak 使使使使使

(3)al-kitāb(4)nabī ()使28124000()()()()

(5)ākhira ()

(6)qadar 56785331調

 2使使()234


五柱

(1)shahāda 使使

(2)alāt 15()

(3)zakāt 2.5

(4)awm 9

(5)ajj 12710殿

 ibādātmuāmalāt


歴史

正統カリフ時代

西66190()


ウマイヤ朝時代

西()


アッバース朝時代

調1110()1011111258()()


スーフィズムとイスラム世界の拡大

調9()1213

 1416116113()16171

 13西1206()152616()姿

 1617退()()


現状と動向



 18170363170393()退

 退()1932

 19西()19241300

 196080197919691947


日本におけるイスラム教


 日本でのイスラム教の歴史は、明治の開国による日本人の海外進出とともに始まる。1896年(明治29)に入信して最初の日本人ムスリムとなったアフマド有賀文八郎(ありがぶんぱちろう)は貿易商として長い間インドに滞在していたし、明治の末には山岡光太郎が、日本に亡命していたタタール人ムスリムとともに最初のメッカ巡礼を果たしている。このように多くの日本人ムスリムが外国で入信するか、外国のムスリムとの接触が入信の機縁となっていることは興味深い。イスラム教では証人立ち会いの下に信仰告白をし、基本的信条と義務について学べば、だれでも簡単に入信ができ、聖職者による複雑な儀礼は必要としない。入信すると、だれでも日常の生活を続けながら仕事を通して信仰を伝え、ともにそれを実践することができるのである。日本人のイスラム教への関心がとくに高まるのは満州事変(1931~32)から第二次大戦中にかけてである。そのころは毎年のように日本人メッカ巡礼団が組織され、イスラム教についての学問的研究が戦略的見地からも大いに奨励された。神戸と東京にそれぞれモスクも建てられた。しかし、敗戦の痛手は大きく、日本のイスラムがふたたびその活動を開始するのはようやく1960年代以降になってからである。今日では日本ムスリム協会、日本イスラム教団、イスラミック・センター・ジャパンなどの組織があり、信者の数は5万人と称されている。

[中村廣治郎]

研究史


 西欧におけるイスラム研究をさかのぼれば中世までたどれるが、本格的な実証的研究が始まるのは19世紀以降である。このころからアラビア語やペルシア語の写本が積極的に収集され始め、基本的文献の校訂や刊行が始まる。これらの史料や幾多の先駆的研究を踏まえて、ドイツのウェルハウゼンJ. Wellhausen(1844―1918)、ハンガリーのゴルトツィヘルI. Goldziher(1850―1921)、イタリアのカエターニL. Caetani(1869―1926)、オランダのスヌーク・ヒュルフローニエC. Snouck Hurgronje(1857―1936)らが、イスラムの歴史およびその全分野にわたって、今日の研究の礎石を築いた。なかでもドイツのネルデケTh. Nöldeke(1836―1930)はコーラン研究やセム語文献学に、フランスのマッシニョンL. Massignon(1883―1962)やイギリスのニコルソンR. A. Nicholson(1868―1945)はスーフィズム研究に、アメリカのマクドナルドD. B. Macdonald(1863―1943)は神学研究に優れた業績を残した。これらはイギリスのギブH. A. R. Gibb(1895―1971)、ドイツのシャハトJ. Schacht(1902―69)、フランスのコルバンH. Corbin(1903―78)らに引き継がれて今日に至っている。

 日本でのイスラム研究は1930年代に始まるが、前嶋信次(1903―83)や井筒俊彦(としひこ)(1914―93)らのごく少数の学者を除き、敗戦とともに多くの学者が世を去ったり、イスラム研究を放棄したため、戦後イスラム研究が新たに始まるのは、ようやく60年代になってからである。

[中村廣治郎]

『H・A・R・ギブ著、加賀谷寛訳『イスラム――誕生から現代まで』(1981・東京新聞出版局)』『嶋田襄平著『世界宗教史叢書 5 イスラム教史』(1978・山川出版社)』『中村廣治郎著『イスラム――思想と歴史』(1977・東京大学出版会)』『井筒俊彦著『イスラーム思想史』(1975・岩波書店)』『R・A・ニコルソン著、中村廣治郎訳『イスラムの神秘主義』(1980・東京新聞出版局)』『W・C・スミス著、中村廣治郎訳『現代におけるイスラム』(1974・紀伊國屋書店)』『日本イスラム協会監修『イスラム事典』(1982・平凡社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イスラム教」の意味・わかりやすい解説

イスラム教
イスラムきょう
Islām

 
7610使使貿  

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改訂新版 世界大百科事典 「イスラム教」の意味・わかりやすい解説

イスラム教 (イスラムきょう)

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百科事典マイペディア 「イスラム教」の意味・わかりやすい解説

イスラム教【イスラムきょう】

イスラム

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世界大百科事典(旧版)内のイスラム教の言及

【イスラム】より


︿Mohammedanism

※「イスラム教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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